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1 御朱印日:2024年4月14日 00:00 |
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(おがおが1262さん)
0 御朱印日:2024年4月2日 00:00 |
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(mini3330さん)
10 御朱印日:2023年7月4日 00:00 |
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(mini3330さん)
15 御朱印日:2023年7月4日 00:00 |
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(いしこさん)
18 御朱印日:2023年5月6日 00:00 |
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(カビジジイさん)
13 御朱印日:2023年4月30日 21:10 |
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(カビジジイさん)
12 御朱印日:2023年4月30日 21:10 |
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(カビジジイさん)
10 御朱印日:2023年4月30日 21:10 |
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(れおんさん)
9 御朱印日:2023年4月29日 00:00 |
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住所 | 埼玉県久喜市菖蒲町菖蒲552 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0480-85-4345 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://shobu-jinja.com |
御祭神 | 稲田姫命 |
創建・建立 | |
旧社格 | 旧村社 |
由来 | 境内掲示板
菖蒲神社 御由緒 久喜市菖蒲町菖蒲五五ニ 御縁起(歴史) 当社は、元は袋田明神社と号していた。『風土記稿』菖蒲町の項には 「袋田明神社 祭神は稲田姫命と云、神体銅鏡にて本地薬師の像を彫れり、裏に寛文元年(一六六九)と見ゆ、合殿に鷲宮・久伊豆の両者を置り、 吉祥院持、末社稲荷天神合社 雷電 大黑天金毘羅秋葉聖德太子合社」 と記されている。別当の吉祥院は袋田山安穏寺と号する真言宗の寺院で、 草創の年時は不詳であるが、開山は弘鑁、開基は菖蒲城主佐々木源四郎という。佐々木氏は金田を称し、後に小田原北条氏にくみして天正十八年(一五九〇)豊臣秀吉に滅ぼされたという。 当社の鎮座地は、菖蒲城主佐々木氏の陣屋跡と伝えられる地のすぐ南西に位置している。また、吉祥院もこの陣屋跡の西側に隣接していることから、当社も吉祥院同様に佐々木氏により中世末期に再建されたものと推測される。 神仏分離を経て、当社は明治三年に村社となった。更に同四十二年と大正二年に地内の無格社が合祀されたが、その多くは後に合祀が解かれ元地に戻された。 当社の大元となった袋田明神社の社名は、氏子の間では、見沼代用水を隔てた新堀の地に祀る久伊豆神社の祭神大己貴命のお袋(母親)が稲田姫命であることに由来すると伝えられている。あるいは、見沼代用水の開削以前に旧河川のこの辺りを袋状に流れ、一面に田が広がっている所に坐す神に由来するとも考えられるが、明らかでない。 新編武藏風土記稿 埼玉郡菖蒲町 袋田明神社 祭神ハ稻田姬命ト云 神體銅鏡ニテ本地藥師ノ像ヲ彫レリ 裏ニ寬文九年九月ト見ユ 合殿ニ鷲宮久伊豆ノ兩社ヲ置リ 吉祥院持 末社 稻荷天神合社 雷電 大黑天金毘羅秋葉聖德太子合社 |
神社・お寺情報 | 久喜市指定有形民俗文化財
菖蒲神社絵馬六面 指定年月日 平成四年三月二十三日 所在地 久喜市菖蒲町菖蒲五五ニ 所有者 菖蒲神社 菖蒲神社は、『新編武蔵風土記稿』によれば「袋田明神社 祭神は稲田姫命と伝」とあります。 同社には現在六面の大絵馬が残されています。三面一組の『百人一首』や、町内で唯一の『飾馬』、幕末の狩野派の絵師伊白栄厚の描いた『鞍馬山』などです。『百人一首』は、天明八年(一七八八)五月、平沢喜兵衛ほか百名の伊勢大々御神楽講中によって奉納されています。三面に百枚の絵札を描く、ほかに例を見ない珍しい絵馬で、百人の奉納者が一首づつ奉納するという形式をとったものです。絵師は藤原守直、細工人は辻幸八どあるほか、執筆が道祖土負栄とあります。 『鞍馬山』は、画題としては珍しいものではありませんが、細エ人斉藤八五郎により荘厳な大型の絵馬に仕上げられ、絵師伊白栄厚が下絵を描き川原塚白泉が彩色するという大掛かりな作品となっています。伊白栄厚は、上新堀久伊豆神社・ 台久伊豆神社など町内に六面の作品を残していますが、「狩野」を名乗るのはこの絵馬だけです。裏書には、天保九年(一八三八)、 穀屋茂吉など十六人の商人と思われる人々の名前が墨書されています。 天明八年(一七八八)八月吉日奉納の『飾馬』は、中央の白馬と左右に配された黒馬が三頭向かい合う構図で描かれたもので、 町内に唯一残された絵馬らしい絵馬です。 嘉永五年(一八五二)五月の『神功皇后』と合わせて、江戸中期以降見沼通船で栄えた町の様子を伝える資料として貴重です。 平成八年三月十五日 久喜市教育委員会 埼玉県指定天然記念物 菖蒲のフジ 指定年月日 昭和二十七年三月三十一日 所在地 久喜市菖蒲町菖蒲五五二 菖蒲のフジは、国指定特別天然記念物「牛島のフジ」(春日部市)と同じ野田フジという品種です。樹齢は三百年をこすといわれています。大正の初めごろに広い棚をつくっ たところ、樹勢が良くなり、一・八メートルにも達する見事な花房を付けるようになったといわれています。 そこで、大正天皇の即位にちなみ、「君万歳の藤」と名付けられました。その後一時期、樹勢が衰えたため、平成九年から三ヶ年にわたって、地元の皆さんの手により、樹勢回復のための土壌改良や、腐食した幹・枝の治療、日陰になる木の移植等が行われました。 現在では、樹勢も回復の兆しをみせ、毎年五月の上旬には見事な花房を付けるようになりました。 根回り九・〇メートル、幹回り一・五メートル、藤棚面積二六六平方メートル 平成十三年二月 埼玉県教育委員会 久喜市教育委員会 |
例祭日 | 4月15日 |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2023/09/03 16:56:28 |