3.0
鷲神社
(わしじんじゃ)
埼玉県さいたま市緑区南部領辻2914
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みんなの参拝記録
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(ムンクさん)
おすすめ度:
★★★
0
232
参拝日:2022年4月17日 14:33
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(Na-kiさん)
おすすめ度:
★★★
0
327
参拝日:2021年4月14日 00:00
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(thonglor17さん)
おすすめ度:
★★★
0
102
参拝日:2021年3月6日 07:09
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(ロビンさん)
おすすめ度:
0
136
参拝日:2020年2月8日 12:49
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(そいたまさん)
おすすめ度:
0
137
参拝日:2020年1月6日 09:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県さいたま市緑区南部領辻2914 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
埼玉高速鉄道浦和美園 徒歩27分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-873-3503 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
日本武尊 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
鷲神社 御由緒
さいたま市緑区南部領辻二九一四
□御縁起(歴史)
当社は奥州街道(後の日光御成街道)の西、やや奥まった所に鎮座している。その社叢は市から「ふるさとの森」に指定されており、市民の憩いの場として親しまれている。
社伝によると、平安期、兄八幡太郎義家を援けんと、新羅三郎義光が奥州街道を下向する途次、当地において奇瑞を感じた。そこで神楽を奏上し、跡地に祠を建てて鷲明神を奉斎したという。
本殿には、翼を広げた鷲の背に立つ鷲大明神像と鏡が安置されている。神像の底面には「明和八辛卯歳(一七七一)霜月 □□□□四郎 別当惣持院法印恵快代」と記され、また、神鏡の台座の底面部には「嘉永六丑年(一八五三)三月 別当阿日山惣持院十四世現住法印覚□謹誌」と記されており、江戸期、別当惣持院が当社の祭祀を司ってきた様子の一端を伝えている。ちなみに、当社の南方二○○メートルほどの所にある惣持院は真言宗の寺院で、寺伝では天正五年(一五七七)五月に開山良秀が入寂したとされる。
『風土記稿』は辻村の神社について「鷲大明神社 村の鎮守なり、惣持院持なり、稲荷社二宇 雷電社 以上三社村民持」と載せる。
当社は、明治六年四月に村社となり、同四十一年十月に字西原の雷電社と字原山の稲荷社を合祀し、更に同年十一月には字辻の稲荷社を合祀した。
合祀紀念碑
我辻郷往時属南部氏領域分立原山及辻廓之二部各祀稲
荷社神人自不相和識者憂之久矣明治四十一年十二月合
祀兩稲荷社鷲神社境内原山稲荷社出金三百三十四圓辻
稲荷社出金百八拾六圓以充其費殘餘金百七十圓編入本
社基本財産仝年四月改築拜殿及瑞垣其工費金千八百圓
至同年九月竣功甍字嚴然神德如高於是乎闔郷驩虞弊習
頓革焉大正十二年四月以當合祀十五週年氏子胥謀醵金
百五十圓購花剛石敷稲荷社庭前以表尊信之意乃建一小
碑叙其梗概以告後昆
大正十二年五月十五日 淺子柳洲謹撰
木村剛石敬書 |
神社・お寺情報 |
境内碑
鷲神社碑銘
鷲神社舊南部領辻村之鎮守也地勢爽塏西南田野
遠開遥對冨岳西北望秩父連山風光頗佳社殿広壮
老樹●欝使人深起敬虔之念神苑廣寛千有六十九
坪明治四十二年三月陸軍大臣寺内正毅献日露後
戦利品以為紀念其四十二年改造拜殿設瑞垣合祀
神社賜其地壹段貮畝拾參歩其四十五年準指定神
社神饌幣帛祭之大正三年十月献金賜國有林六段
五畝拾歩社財益加神徳赫々凢水旱疾疫有禱必應
焉信徒敬神之厚真可感也因録貞珉以傳後昆銘曰
辻村庶民 至誠敬神 神徳益顕 霊域維新
大正六年歳次丁巳二月十一日
井澤●山潤拜撰并書
浦和市鷲神社社叢ふるさとの森
昭和五十六年三月二十日指定
身近な緑が、姿を消しつつある中で、貴重な緑を私達の手で守り、次代に伝えようと、この社叢が、「ふるさとの森」に指定されま した。
社叢は、神社の歴史的遺産と一体となり、本県でも有数のふるさとを象徴する緑です。
伝えによると、新羅三郎義光が奥州に下向の折、奇瑞を感じたところがこの地であり、それにちなんで神社が造られたとされています。境内には、ヒサカキ、アカシデ、アカマツ、スダジイ、エゴノキなどが生育しています。 今後も皆様の手でふるさとの森を守り、育ててくださるようお願いします。
昭和五十六年十二月
埼玉県
さいたま市指定有形民俗文化財
南部領辻の獅子舞獅子頭、衣裳及び道具類
平成四年三月二十五日指定
天狗、弓持ち、お守り持ち、笛(二人)、簓(二人)、太夫、中獅子、女獅子の十人分の衣裳及び道具類からなります。笛方、簓方が被る花笠(オゼン)の一つには、明和五年(一七六八)に岩槻の林藤町で作ったことが墨書されています。獅子頭をはじめ弓や天狗面に至るまで、制作は優れており、激しい舞にもかかわらず、良好な保存状態を保っています。
なお、これらの衣裳及び道具類を納める長持及び長持覆い一式が付けたり指定となっています。
さいたま市指定無形民俗文化財
南部領辻の獅子舞
平成十五年四月三十日指定
この獅子舞は、八幡太郎義家の弟、新羅三郎義光が奥州へ兄を助けに向かう途中、兵士の士気を鼓舞するために舞ったものを、土地の人たちが習って伝えたものと言われます。
いわゆる「三頭一人立ち」の獅子舞で、毎年五月と十月に鷲神社に奉納されるほか、五月の奉納後には地域を回り、氏子の庭先でも舞われます。地域の「厄払い」のために舞われるという本来の姿をよく伝える獅子舞で、太夫(大獅子)を中心にした三頭の獅子が勇壮に舞います。
平成十五年十二月
さいたま市教育委員会 |
例祭日 |
・村祈祷(現在五月中旬)・お日待(現在十月中旬) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2022/04/19 21:42:08
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