3.8
大和田氷川神社
(おおわだひかわじんじゃ)
埼玉県新座市大和田4-15-13
みんなの御朱印
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(銀ムツさん)
 35
御朱印日:2025年10月8日 00:00
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(くまじんさん)
 96
御朱印日:2025年1月3日 14:59
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(まっきーさん)
 60
御朱印日:2024年6月9日 13:25
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(thonglor17さん)
 48
御朱印日:2022年6月18日 05:49
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みんなの参拝記録
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(miyumikoさん)
おすすめ度:
★★★
0
 7
参拝日:2026年1月2日 09:00
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(やまちーさん)
おすすめ度:
0
 41
参拝日:2025年4月5日 08:33
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(りんごぐみさん)
おすすめ度:
★★★★
0
 90
参拝日:2024年7月6日 10:46
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(まっきーさん)
おすすめ度:
★★★★
0
 61
参拝日:2024年6月9日 13:25
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(大福さん)
おすすめ度:
0
 34
参拝日:2024年2月18日 07:12
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(大福さん)
おすすめ度:
0
 83
参拝日:2023年5月4日 15:36
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(狭山茶さん)
おすすめ度:
★★★
0
 20
参拝日:2023年3月21日 12:45
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(ムンクさん)
おすすめ度:
★★★★
0
 70
参拝日:2023年2月25日 09:13
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(thonglor17さん)
おすすめ度:
★★★
0
 54
参拝日:2022年6月18日 05:49
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(IMERIさん)
おすすめ度:
★★★★★
0
 30
参拝日:2022年6月10日 00:57
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
| 住所 |
埼玉県新座市大和田4-15-13 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
JR武蔵野線新座 徒歩16分 |
| 御朱印授与時間 |
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| 電話番号 |
04-2944-3704 |
| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御祭神 |
素盞雄命 |
| 創建・建立 |
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| 旧社格 |
旧村社 |
| 由来 |
氷川神社<新座市大和田四-一五-一三(大和田字下ヶ谷戸)>
大和田は柳瀬川右岸の武蔵野台地が一段低くなった所に位置し、地名は柳瀬川の谷間がようやく広くなり、やや広い平地をなしていることによるという。
その地名は既に鎌倉期に見え、金沢文庫に所蔵される「観経玄義分見聞集」の奥書に「時に正安二年辛丑(一三〇〇)五月二二日未尅(刻)、武蔵国新倉郡大和田郷普光明寺に於て書写せしめ了ぬ」とある。中世の大和田郷は郷内を南西から北東に通過する鎌倉街道に面した普光明寺を中心に集落が形成されていた。
当社もこの普光明寺の近くに鎌倉街道に面して鎮座する。文政二年(一八一九)に普光明寺覚印が記した「鎮守縁起並祭礼之条目」の冒頭に「抑当所鎮守氷川大明神往昔を尋ぬるに、仁王二十三代桓武天皇之御宇延暦弐拾一壬午年(八〇二)新に建立すと云々」とある。一方『明細帳』には、正治二年(一二〇〇)に創立されたことが記される。いずれにしてもその立地から、鎌倉期には既に奉斎されていたことは想像に難くない。
江戸初期に川越街道が設定され、大和田村を南東から北西に鎌倉街道と交差する形で縦断した。これにより膝折宿と大井宿の間の宿駅として大和田宿が立てられ、普光明寺付近にあった集落はこちらに移った。このため当社は氏子集落の中心から離された形となった。この影響であろうか、先の「鎮守縁起並祭礼之条目」によれば、その後社頭が荒廃した模様で、これを憂えた普光明寺法印の覚円が村役人らと相諮って享和三年(一八〇三)に本殿・拝殿・末社・鳥居を再建した。しかし、次の覚印の代になると、今度は祭礼の費用を負担し切れなくなり、神事を営むにも疎かな状態となった。このため、覚印は氏子中から金銭を集め、祭礼を復活することを企てた。その結果覚印をはじめ氏子百二十余名から集まった寄付金は一九両となり、内三両を文政二年の祭礼金とし、残る一六両を村役人や氏子に貸し付け、その元利をもって以後の祭礼に充てることとなった。現在の祭りの原形はこのころに整えられたものであろう。
明治初年の神仏分離後に当社は古来鎮守であったことから村社に列した。明治十年に字弘法の稲荷神社を合祀し、更に同四十一年には字権現の熊野神社をはじめとする三〇社ほどを合祀した。
字権現の熊野神社は、合祀以前は中野地区の鎮守であった。現在の西武台高校のある丘がかつての鎮座地で「権現山」と呼ばれていた。ここから湧いて流れ出る水が付近の水田を潤していたという。この社の勧請については、文明十八年(一四八六)に新座郡に来訪した三井長吏三山並新熊野検校聖護院門跡道興の布教があったことが考えられる。(「埼玉の神社」より)
氷川神社
大和田の氷川神社は、縁起によると、延暦二十一年(八〇二)の創建といわれる神社です。
祭神は素盞嗚尊です。
この氷川神社のある大和田一帯は、古くから鎌倉幕府の支配する土地(国衙領)で、「大和田郷」といわれていました。
拝殿の奥にある入母屋造りの本殿は、江戸時代の享和年間に再建されたもので、正面に千鳥破風と、唐破風の向拝を付けています。
本殿の壁面には、みごとな白木の彫刻が施されています。
作者は浅草当代の名工といわれた島村源蔵で、
左面「鞍馬山の天狗と牛若丸」
背面「養老の滝の伝説」
右面「神功皇后と武内宿禰」
の三題が、風格ある江戸彫りの刀法によって、透し彫りにされています。
この氷川神社と、普光明寺の間には「いざ、鎌倉」への道として利用された中世の道「鎌倉道」が通っています。
平成三年十二月
新座市教育委員会
新座市文化財保護審議委員会 |
| 神社・お寺情報 |
狛犬 文化九壬申初春吉辰(1812)
水盤 文政元戊寅星三月吉辰(1818)
境内掲示板
新座市指定無形文化財
大和田囃子
大和田地区に伝承されている囃子は、江戸神田囃子の流れをくむ祭囃子で、川越街道沿いを中心に。最も親しまれているお囃子です。
江戶時代の終わり頃、氷川神社の夏祭りに神與とともに奉納した囃子が流行り、土地の人たちが「大和田囃子」と称して楽しんだのが、大和田に伝わる祭囃子の由来だと言います。
当時、川越街道の宿場町であった大和田の人たちが、江戶近郊、王子村の三次という師匠から教えてもらったお囃子を、神社に奉納し、祭囃子として広まったものと考えられます。
古くは山車が曳き出され、その山車の中で囃したと言います。
曲目は「屋台」「昇殿」「神田丸」「鎌倉」「四丁目」「仁羽」などがあり、おかめ・ひょっとこ・狐・獅子・下道などの面をつけた踊りがつきます。
楽器の構成は、大太鼓、締太鼓、拍子木、鉦、篠笛の組み合わせで、演者の並び順も決まっています。
毎年七月末の金・土曜日に行われる大和田氷川神社の夏祭りでは、川越街道名物の荒れ神輿として知られる「裸神輿」の荒々しさとともに、賑やかな祭囃子で華を添えています。
平成十四年三月
新座市教育委員会
新座市文化財保護審議委員会
境内掲示板
新座市指定無形民俗文化財
大和田氷川神社はだか神輿
毎年七月末の金曜・土曜日に行われる大和田氷川神社の夏祭り「はだか神輿」は、今から百八十年前に始められたと伝えられ、以前は、七月十四・十五日に行われていました。
担ぎ手は、白足袋に一反晒の褌を締め上げ法被をはおりますが、神輿を担ぐときは、法被を脱ぎ丸めて肩に乗せ、担ぎ棒が直接肩に当たらないように使われたりします。褌姿で神輿を担ぐところから、何時しか、「はだか神輿」と呼ばれるようになり、勇壮な様から、別名「荒神輿」とも呼ばれています。
「やんよー、やんよー」の掛け声とともに、大和田雅子を先導に川越街道を練り歩くというもので、神輿を左右に荒々しく揉むところに大きな特徴があります。さらに、神輿を頭上に差し上げたり、地上すれすれに落としたり、くるくると駆け足で神輿を廻したりもします。
このはだか神輿には主に雨乞いの効果があるといわれ、五穀豊穣、無病息災を願うこの土地の人々によって、大和田地区あげての祭りとして現在に受け継がれています。
平成十五年七月
新座市教育委員会
新座市文化財保護審議委員会 |
| 例祭日 |
・例祭(七月十五日) ・神幸祭(七月最終の金曜・土曜日) |
| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】まっきー
【
最終
更新日時】2024/06/09 18:35:50
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