群馬県安中市下後閑1252-3 威徳山 吉祥院 北野寺の写真1
群馬県安中市下後閑1252-3 威徳山 吉祥院 北野寺の写真2
群馬県安中市下後閑1252-3 威徳山 吉祥院 北野寺の写真3
 3.3

威徳山 吉祥院 北野寺  (いとくさん きっしょういん きたのじ)


群馬県安中市下後閑1252-3

みんなの御朱印

上州33観音-23番 参拝日 2022年8月20日 10:30 専用納経帖
(phai0317さん)
141 御朱印日:2022年12月3日 23:11
33-A14
(phai0317さん)
144 御朱印日:2022年8月20日 10:30
奥様が丁寧に対応してくれました。
(あすべすさん)
141 御朱印日:2020年8月27日 14:00
新上州三十三観音・第23番札所
(atsushiさん)
146 御朱印日:2020年3月5日 10:32
(たけちゃん⚾さん)
141 御朱印日:2017年12月14日 00:00
(なおKさん)
104 御朱印日:2017年8月20日 00:00

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みんなの参拝記録

札所:新上州三十三観音・第23番 【庫裡】 御朱印:300円
(優雅さん)
おすすめ度: ★★★
1 361 参拝日:2018年7月15日 16:11
(zx14rさん)
おすすめ度:
0 60 参拝日:2025年7月19日 14:17
(あすべすさん)
おすすめ度: ★★★★
0 328 参拝日:2020年8月27日 14:00
新上州三十三観音・第23番札所
(atsushiさん)
おすすめ度: ★★★★★
0 359 参拝日:2020年3月5日 11:17
(たけちゃん⚾さん)
おすすめ度:
0 370 参拝日:2017年12月14日 00:00
(なおKさん)
おすすめ度:
0 0 参拝日:2017年8月20日 00:00

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基本情報


※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 群馬県安中市下後閑1252-3
五畿八道
令制国
東山道 上野
アクセス 長野新幹線安中榛名 徒歩37分
御朱印授与時間
電話番号 027-385-9678
FAX番号
公式サイトURL
御本尊 十一面観世音菩薩
宗派 真言宗豊山派
創建・建立 永和元年(1275年)
由来  北野寺は、南北朝時代中期の永和元年(1275年)、山城国(現 京都府)醍醐寺僧慶秀僧正が東国ご巡鉢の砌り、開山したと伝えられている。
 慶秀僧正は、この北野寺のほか、不動寺・妙光院・満福寺・自性寺・清元寺・観乗寺・成就寺の七寺をも建立した名僧である。

 この地は、近江彦根藩第二代の井伊直孝(いいなおたか、江戸時代前期の譜代大名。上野白井藩主、近江彦根藩第二代藩主。井伊直政の次男。母は印具氏。井伊直勝の異母弟。正室は蜂須賀家政の娘・阿喜姫)の幼時を養育された地なのである。直孝は幼名を弁之助という。
 直孝の父は井伊直政で、徳川家康に仕えていた。小田原の役などで戦功をあげ家康の関東轉封とともに上野箕輪城十二万石を領していた。のちの慶長三年(1598年)箕輪の居城を上野国和田に移し、髙﨑城と名付けたほどの徳川幕府の重臣であった。この直政は慶長五年の関ヶ原の戦いで、本田忠勝とともに監軍として大功があったが、この戦での流れ弾がもとで慶長七年二月、四十二歳で死去した。直政が亡くなると徳川秀忠の近習に取り立てられ、上野白井藩(現 渋川市)一万石を与えられた。同時に大番頭に任じられた。

 この直政に二子があった。直勝・直孝である。兄の井伊直勝(いいなおかつ、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての譜代大名。徳川氏の家臣。近江佐和山藩主、のちに上野安中藩初代藩主。直勝系井伊氏初代)は父の遺領をついで、近江・上野両国十八万石を領有し、さらに彦根に築城の命を受け、完成後これに移った。しかし多病のため、弟直孝を彦根に住まわせ、直勝は上野領三万石をえて安中に住むようになったのである。
 また、直孝は嫡男の直勝と同じ歳で安土桃山時代の天正十八年(1590年)二月に生まれたとされる、当初は生母の実家や親戚宅などで数年過ごしていた。生母は正室唐梅院の侍女であったといわれ、遠慮があったという説がある。それ故かこの下後閑の郷士荻原図書に預けられ、文禄三年(1594年)から十年間この北野寺で養育されたのである。
 同寺十四世秀算阿闍梨に師事し、境内の薬師堂で勉学した。そして秀算阿闍梨は、その後請われて南部総本山に登り座主能化職となる。草深き田舎寺よりこのようなことは、空前絶後である。 
 直孝が北野寺の薬師堂で勉学に励んだ頃のエピソードは多い。近所の子供を集め、その軍略を指揮したり、十一歳の時には庄屋に押し入った強盗の脚股を切り取り抑えたという逸話がある。北野寺敷地内で住居とした薬師堂近くには、立身出世を祈願して杉とヒノキが植えられた。後に三十万石(三十五万石格)の大名まで上り詰めた成功にあやかり「出世薬師」の異名で知られた。

 下後閑の地にこうしたエピソードを残した直孝は病弱の兄に代わって、大阪城攻め冬の陣・夏の陣に井伊の赤備えも名高く大功を立て、家康・秀忠・家光三代に仕え大老職となり、彦根藩三十万石の藩主となってからも、幼時育てられた北野寺が忘れがたく、師の秀算阿闍梨に毎年年賀状を宛てたり、彦根城下に金亀山(こんきざん)北野寺を建立し、天満宮を勧請している。
 北野寺は江戸時代中期の安永八年(1779年)五月十四日大火に遭い焼失したが、寛政六年(1793年)井伊直中により、薬師堂が再建された。北野寺においても井伊家の厚意を天満宮と寺の棟に井桁の家紋を高く掲げてある。
 この薬師堂には、この近辺の人々の札所巡りの供養の為奉納された四国・西国・坂東・秩父などの札所本尊の小型化したものが、雛壇のように飾られ保管されている。
 また、北野寺には彦根藩井伊家よりの古文書の他、安中藩主内藤丹波守の書簡など、貴重なものが数多く所蔵されているので、「北野寺所蔵文書」として昭和三十三年(1958年)七月十五日に市指定重要文化財に指定されています。
神社・お寺情報 札所:新上州三十三観音・第23番
詠歌:ふる里を はるばるここに 北野寺 花の都の 心地なるらん
例祭日
神紋・寺紋 未登録
更新情報 【 最終 更新者】zx14r
【 最終 更新日時】2025/07/19 14:16:42
 
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