金刀比羅神社 (室生田口元上田口) 参拝記録 (天地悠久さん)
「室生川」の支流、「胎の川」のそのまた支流である「弁財天川」沿いに鎮座する社。標高700m近くの高所にある山村地。かつては伊勢本街道沿いとして栄えたとか。当地は神武東征軍が八十梟軍との激戦を終え、自軍の傷を癒したとされる伝承地。皇居の「内裏」を意味する「大内」という地名が残っているとのこと。案内板には「宮城を築き暫時政務を…」とありますが、雨風を凌ぐ程度の仮屋を拵え軍の指揮を執ったぐらいかと。この伝承地に創建されたのが当社。江戸時代のこと。遷座があったとしていますが、原初の社地は不明。文面から見るにそう遠くはなさそうです。当社境内周辺は「一万本の石楠花の丘」として、近年村起こしがなされているようです。
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