万年山 慈尊院 参拝記録 (おおきっちゃんさん)
本尊の木造弥勒仏坐像は国宝(美術工芸品)。他に本堂弥勒堂、絹本著色弥勒菩薩像などの重要文化財を所蔵し、境内は国の史跡「高野山町石」の一部である。本堂弥勒堂はユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部。
今からおよそ1200年前、弘法大師(空海)は嵯峨天皇から賜った高野山に真言密教の根本道場を開きました。明治5年までは高野山は女人禁制として女性が訪れることは厳しく制限されることに。今でこそ観光地として世界遺産として誰もが訪れることのできる高野山ですが、このような制限がされた時代もあり、その名残として高野山には山内に入る場所に「女人堂」という、高野山に入れない女性が籠るお堂が残されているのです。
その昔、弘法大師(空海)の御母公が「一目わが子に会いたい」と訪ねてこられた時も、当然高野山は女人禁制だったため弘法大師の元に行くことができませんでした。空海は月に九度の頻度で、「町石道」を歩いて母に会いに来たと言われ、それが「九度山」という地名の由来となったといわれています。町石道とは、高野山への道しるべとして一町(約109m)ごとに「町石(ちょういし)」と呼ばれる石柱が置かれた道のこと。
弘法大師が開いた慈尊院は女性の参拝が自由な「女人高野」として女性の祈りを集めるようになりました。今では世界遺産に登録されています。
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