八幡神社 (大和郡山市観音寺町) 参拝記録 (天地悠久さん)
豊臣秀吉の弟、秀長が城主として君臨した「郡山城」。城下町の外堀の外側「外町」の「観音寺町」内に鎮座。寛永十七年(1640年)に本多政勝により城下町を広げるため、外堀を外側に張り出す工事が行われました。広がってできたところにある「北鍛冶町」から北へ、「鍛冶町大門」を出て「奈良口町」へ向かう途中にあるのが「観音寺町」。その通り沿いのみ町家が建ち並んでいたようですが、当社付近は田畑。創建由緒等に関する資料は見当たらず不明。当地よりもう少し西方には、武家地の一部分が入り組んでいたところがあったらしく、八幡神が祀られているのはそのためかもしれません。ご祭神を「八幡大神」としていることから、薬園八幡神社からの勧請でしょうか。
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