加茂神社 参拝記録 (天地悠久さん)
「虫生野(むしょうの)」という丘陵地に鎮座する社。社伝によると、後柏原帝の大永年間(1521年)に山城国の加茂神社より分霊勧請されたとあり、応仁の乱に端を発するとも。加茂社から分霊勧請してきたとされる神が、なぜ加茂(鴨)神ではないのか不明。当社では「天津彦火瓊瓊杵尊」を「天祖」、「天祖彦火瓊瓊杵尊」を「天照大神」としており、これも由縁は不明。天津兒屋根命は藤本神社として安土谷というところに鎮座していた社を合祀したようです。非常に神氣の籠る雰囲気は上古からの霊地であったとも思えます。加茂社であることから採鉱が行われており、磁場である可能性も。東方に式内名神大社論社の川田神社が鎮座しており、天湯川桁命と天川田奈命という鍛治神と考えられるご祭神。当社背後の山はその川田神社まで繋がっています。
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