志磨神社 参拝記録 (天地悠久さん)
紀ノ川の中洲が堆積して発達した地に祭祀が行われたとする社。立地から、中津島姫命を市杵島姫命と同神として水神が祀られています。「新抄格勅符抄」には大同元年(806年)に神戸「島神 七戸」と記されるなど、「志磨」はやはり「島」の意味であるかと。比定の際に市杵島姫命が宛てられ、勧請されたのではないでしょうか。それ以降祀られているのは市杵島姫命ですが、原初は異なるご祭神であったように思います。当社は江戸初期に、式内大社 志磨神社に比定され社名を改めています。それまでは「九頭明神(国津明神)」であったとか。島内には6社の祠があったものの、もっとも社地に優れていたという脆弱理由で比定されたと伝わっています。「紀伊続風土記」には「紀三所社(伊太祁曾三神)を三箇所に分祀した」とあり、当社はそのうちの大屋都比売神を祀るとしています。(長くなるので続きは次回に)
おすすめ度:
おすすめ度: