丸山宮址 (神武天皇丸山御陵) 参拝記録 (天地悠久さん)
神武天皇の「橿原宮跡」であり、また「御陵」の伝承地。現在の比定宮「橿原神宮」や治定墓「畝傍御陵」は、江戸幕府や明治政府により半ば強引に決定されたものであり、橿原神宮は正しい可能性があるとしても、畝傍御陵に至っては、小さな牛の糞塚を御陵としたというのが定説。そして本来の御陵が当地であるというのが最有力。 藪を掻き分け伝説の地を探し出すことに成功しました。現地は「宮」と刻まれた五本の石碑で丸く囲まれています。明治まではここが御陵であり、宮址とも考えられ、「洞村」という集落もありました。宮址への奉斎を明治・大正政府が頑なに拒んだようです。
おすすめ度:
参拝日:2020年5月20日 12:00