波多神社 参拝記録 (天地悠久さん)
明日香村の西方、高所集落「冬野」地区の最奥に鎮座。標高は約680m。談山神社がある「多武峰」から吉野へ抜ける最短ルートとして、古代より利用されていたようです。通称は「上畑」。創建由緒に関しては不明。社名や地名から波多氏、或いは秦氏との関連が見出せます。波多氏は武内宿禰の長子 波多八代宿禰(八多八代宿禰)を祖とする氏族。「新撰姓氏録」には派生であろうものを含め、いくつかに跨がり記されます。うち当地を拠点としたのは波多祝氏。高皇産霊命の孫 治身の後裔とされます。波多八代宿禰は神功皇后の三韓征伐に従軍しています。波多氏の中には百済からの渡来系氏族も有り。また神功皇后との接点もあるなど秦氏との繋りも。ご祭神は事代主命ですが、当社は波多祝氏の氏神、本来は祖神である八多八代宿禰または高皇産霊命を祀る社であったと思われます。
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