板列八幡神社 参拝記録 (天地悠久さん)
「丹哥府志」によると、「板列神社 今八幡宮と称す 天橋記云ふ 八幡の社は小野僧正仁海の勧請なりといふ」とあります。これは永承四年(1049年)のこと。諸国に仏舎利を納めているようですが、当社に阿弥陀如来を納めたと。一方で奈良時代に諸国に国府が設置され、その周辺には八幡社が建てられていますが、当社がそれではないかというものも。丹後国府の推定地は籠神社周辺ではないかとされ、「府中」という地名が残ります。また国分寺跡は当地「男山」の隣村の「国分」にあったと。この地名「男山」に関しては、山城国綴喜郡の「男山」に鎮座する石清水八幡宮から勧請されたため。「板浪別宮」と称されていたようです。これらとは別に、かつて「加舞満久(ガンマク)」という地に鎮座していた式内社 板列神社が荒廃のため、当社に合祀されたというものも(「丹哥府志」など)。「加舞満久」とは当社の西方、森の中に鎮座していたと伝わります。なお式内社 板列神社の論社として、西隣の「岩滝」に鎮座する板列神社が挙げられています。ご祭神の稻廼売神(イナノメノカミ)は板列稲荷神社のご祭神であるとのこと。察するに宇迦之御魂神のこと、ひいては豊受大神のことではないかと思います。
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