春日神社 (大軽町) 参拝記録 (天地悠久さん)
丸山古墳の北方に鎮座。「軽(かる)」の地(現在は大軽町)にあり、古代朝鮮語で「鉄」を意味する「カル」が連想されます。万葉集には「天飛ぶや 軽の社の 斎槻(いはひつき) 幾世まであらむ 隠妻(こもりづま)そも」(作者不詳)と読まれた社とされます。また「天飛ぶや 軽の道は 我が妹子が 里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど」(柿本人麻呂)という万葉歌も。人麻呂の妻の故郷であったとされます。「軽」の枕詞は「天飛ぶ」であったようです。境内は応神天皇「軽島豊明宮」の比定地で、これは記の記述によるもの。一方の紀においては記述が無く、神功皇后の「磐余若桜宮」(桜井市谷の稚桜神社が比定地)から遷都していないということに。また天皇はこの地で崩御したと伝わります。当社南東200mほどに「八幡屋敷」という塚があったらしく、そこに合祀された応神天皇の祠があったとされます。
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