錦織神社 参拝記録 (天地悠久さん)
大和川から石川を遡り、陸路 水越峠へ抜けるまでの平地に鎮座。「錦部郡(にしごりのこおり)」に属し、交通の要衝として早くから開けていたのではないかと思われます。「百済郷」という集落もあったらしく、渡来系技術者が「綾錦織」といった品を朝廷に献上していたのが地名由来とする説も。あるいはその渡来系技術集団の中に錦部氏といった氏族もあったようです。渡来時期は雄略朝の時代。書紀には敏達天皇の御代、錦部氏の「惠善尼」を含む僧たちが蘇我馬子により朝廷に召されています。当時国内には疫病が流行、物部守屋はこれを崇仏が原因であるとし、尼僧たちは全裸にされ鞭打ちされたと記されています。出家した尼僧が祀られるというのもおかしなことですが、その惠善尼に関連する人物(神)が当初のご祭神であったかと考えています。
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