日原神社 参拝記録 (天地悠久さん)
「千石山」東麓に鎮座。創祀は社伝によると朱鳥元年(686年)。ところが白鳳年間(650~680年)に、九社明神の神事が行われていたたされるため、既に創祀がなされていたのでは。おそらくは当社を中心にして行われたと思われ、北西の下森神社へ渡御されていたもよう。そちらは当社御旅所。周辺畑からは土器や土師器などが出土する「女布遺跡」。古くは縄文創草期まで遡る遺跡。社名読みは「めふじんじゃ」とする資料も。地名「女布(にょう)」はおそらく、「にふ」「にょう」「めふ」のことであり、つまりは「丹生」ではないかと。網野町に売布が鎮座するなど、山陰地方にはいくつか見られます。折口信夫氏はこれらを、「日の神」に仕える「水の神」という捉え方をしていますが、やはり水銀採掘が行われていたことと思います。ご祭神については諸説有り。「加佐郡誌」は日臣命、「丹後旧事記」は伊弉諾命、「丹後国式内神社取調帳」や「舞鶴市史」などは天日腹大級度美神。
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