三十八柱神社 参拝記録 (天地悠久さん)
推古天皇の「小墾田宮(おはりだのみや)」の候補地の一つ。「和州旧蹟幽考」(1681年)には「玉林抄伝 大仏供の里という所に小治田宮とて小社あり (中略) 大仏供の里は桜井村の町のいぬいにあり十市郡なるべし」と。本居宣長は「古事記伝」の中で、「十市郡の大福村其の地なりと云るは違へり」と記しています。候補地として挙げられている当社説を、間違いであるとするもの。現在は明日香村の「雷丘」周辺とするのが有力。当社が「小墾田宮」の跡地であると強力に推したのが、かつての宮司であった故石井繁男氏。「小墾田宮とその大福説」という著書において。周辺の地名などにその痕跡が残っていることを主な理由に。当社由緒記に、「奉迂宮小治田宮五穀豊穣氏子安全 享保三戊戌年八月二十三日 祭主 大神朝臣富房 代勤土屋左近」と記される棟札があると記されます。またご本殿の神鏡に「奉納大春田大明神 安政五年八月二十五日…」との銘があるとのこと。「大春田大明神」とは「小治田大明神」。さらに幕末に当社名を三十八柱神社に改称するまでは、「小墾田宮」であったとされています。
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