穴栗神社 (穴吹神社) 参拝記録 (天地悠久さん)
万葉集にも歌われる「伊久里の杜」と呼ばれる地に鎮座。「妹が家に 伊久里の杜の 藤の花 今来む春も 常かくし見む」、この「伊久里の杜」は、大和国「穴栗(井栗)」、越中国「井栗村」の両説有り。社名は「穴栗」「穴吹」「穴次」とばらつきが見られます。また紀には地名は「春日穴咋邑」とも。これは景行天皇五十五年の条に、彦狭嶋王(孝霊天皇皇子)が東山道15国の都督に任じられるも、その途上「春日穴咋邑」にて病で薨じたとあります。四社連棟式のご本殿、このうち穴栗・伊栗の神が春日大社に分霊されたという記録有り。現在も春日大社内には末社として四社が鎮座。祭神構成は天太玉命とその父神ともされる高御産霊尊、和幣(ニギテ)神二柱の計4柱。「和幣」は天岩戸神話に登場する「天香山」の五百津真賢木を根ごと引き抜いて下の枝に「白和幣」、「青和幣」を取り垂れて…とある祭祀用具。それを神格化したもの。また「式内調査報告」では、当社を式内大社 宇奈太理坐高御魂神社に宛てています。比定社は平城京内に鎮座する宇奈太理坐高御魂神社。
おすすめ度:
おすすめ度: