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基本情報
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住所 |
埼玉県熊谷市鎌倉町36 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
秩父本線上熊谷 徒歩1分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0485210159 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
真言宗智山派 |
創建・建立 |
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由来 |
新編武蔵風土記稿
大里郡熊谷町
石上寺 新義真言宗埼玉郡上之村一乗院末星河山千手院ト号ス 開山榮光寛文十一年寂ス 開基ハ当所ノ名主新右衛門カ先祖竹井新左衛門尉信武ナリ寛永十五年九月二六日卒ス 則開山榮光ノ父ナリトイヘリ 本尊千手観音ヲ安置ス聖徳太子ノ作ト云傳フ座身長一尺二寸 観音堂 毘沙門堂 地蔵堂 千體佛堂 伊勢兩社 鹿島社 星川池 星川ノ水元ナレハ名トス |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
エドワード・シルヴェスター・モース博士
(1838.6.18~1925.12.20)
米国メイン州ポートランド生まれの動物学者。明治10年6月、日本貝類研究のため来日の折 『東京大森貝塚』を発見、後に東京帝国大学の初代動物学教授としてここを発掘調査し、日本動物学考古学の端緒を開いた。
明治12年8月13日、石上寺に来山し寺内の寺子屋(乙中教院)において英国動物学者ダーウィンの『進化論』を講義、因って当山は『埼玉県初の外国人科学者講演の地』となった。
余話 博士は難解な『進化論』を比喩的に「人間の始祖は猿」と平易に説いた為、明治期の皇国史観の教育を受けた聴講者から「伊邪那岐命の神孫である我が大和民族を愚弄する邪説」と抗議を受けたと言われる。
境内碑
弘法大師千百年記念碑
新義眞言宗智山派前管長大僧正靑木榮豐題額
維昭和九年ハ我カ高祖弘法大師御入定一千百年遠忌ニ正當セリ是ヲ以テ末徒ハ誠信ヲ抽シテ法要ヲ營ミ或ハ記念事業ヲ企テ大師海嶽ノ洪恩ニ答フル所アラントス茲ニ當山現住興照檀徒惣代ヲ相議シ庫裡ノ改築境域ノ整理玉垣建設等ノ諸事業ヲ企畫セシニ檀徒一同忽チ之ニ贊シ爭ウテ淨財ヲ喜捨ス加フルニ有緣ノ諸職人自ラ進ンテ力ヲ工事ニ致シ營ム所ノ事業日ナラスシテ竣工ス依テ十月十三日ヲトシ御遠忌奉贊大法會ヲ勤修シ倂セテ之カ落慶供養ノ式ヲ擧ク寔ニ眞俗ニ諦ノ妙業令法久住ノ勝計ニシテ能ク大師ノ行願ニ契フモノト云フヘシ之レ一ニ住職並檀信徒一同赤誠ノ致ス所ナリト雖モ亦大師ノ冥助ニ依ラスンハ能ハス本尊薩埵ハ之ニ依テ威ヲ培シ衆庶蒙ムル所ノ利益ハ萬却ニ盡キス囑ニヨリテ聊カ事由ヲ記スルコト然矣
昭和九年十月吉祥日
智山專門學校長權中僧正 高井觀海撰
智嶺末資 岩崎秀圓書
境内碑
林翁紀德之碑
貴族院議長正二位勳一等公爵德川家達篆額
熊谷爲武之名邑邑南有隄隄上皆櫻春風被野千樹競英則衣香鞭影紛紛沓
至拂彩雲踏暖雪徘徊忘歸者每歲不下三十萬世媲之吉野小金井稱爲三勝
不誣矣而其致能然者林翁櫻雲之力居多焉翁名有章字子慶號幽嶂櫻雲其
別號也世家於熊谷弱冠爲折遞學社幹事又參畫邑政出仕大歲省歷任埼玉
縣北葛飾北埼玉兒玉三郡長有廉幹之譽敍從六位明治三十六年辭官歸里
先是櫻樹年老多朽枯勝區漸爲荒廢翁深慨之與同志者謀購名種而移植之
然權折相繼人以爲憾至是與竹井澹如等議剏保勝會請官修隄擴路務講保
護之法又設樓閣以便遊覽翁爲櫻樹致力者前後實三十年現爲保勝會頭爲
人誠篤容恭而言溫好學工書喜與騷人韻士遊所作文詩歌謠總托諸櫻遂至
以爲別號人因稱曰是翁之櫻耶櫻之翁耶蓋其錦繡之腸雅潔之操與櫻花有
所相契也昔者林和靖愛梅結廬孤山之下諷詠自適今翁愛櫻急流勇退角巾
野服周旋乎名花之閒其情何異和靖然則熊谷者其翁之孤山也歟乃者鄕人
以其地著聞而保勝蒙利爲翁之德也欲勒之貞珉圖不朽來索予文予已憲翁
之風今又嘉有此舉因記其由係以頌曰
花之馨兮 維國之祥 翁之德兮 維鄕之望 有屹豐碑
嘉績彰彰 蒼靈自東 隄樹騰光 勿翦勿折 永比甘棠
大正十四年三月一日
樞密顧問官正三位勳一等法學博士平沼騏一郞撰
宮內省御歌所日勤寄人正五位勳四等坂 正臣書
境内掲示板
石上寺と熊谷桜
当山が江戸期より熊谷桜の栽植地であったことは左掲の三資料を証左とする。
一、熊谷古図絵 宝暦二年(一七五二)
境内地に熊谷桜植生の描写
当山が所有の模写図より
二、三陀羅法師の熊谷桜狂歌碑 文化五年(一八〇八)
「我も其阿弥陀笠きて咲く花にうしろは見せぬ熊谷桜」
三、忍名所図絵 天保六年(一八三五) 星河山石上寺の項目
「熊谷桜 寺内にあり 数樹あり 花の頃は一時の美麗也」 ※当山所有の筆写本より
熊谷桜
キンキマメザクラが重弁化した早咲きの変異種。二本の雌蕊がより突出し花弁は二十五~三十五枚を有する。
命名由来
熊谷桜の咲き駆け(早咲き)と源平合戦における直実公の先駆け(先陣)との掛詞。長い二本の雌蕊を直実公の兜の鍬形と見立てる。
名声流布
歌舞伎・文楽 「熊谷陣屋、熊谷桜の段」の好評上演により巷間に喧伝される。
観桜墨客
三陀羅法師(狂歌師)・谷文一、浦上春琴、釧雲泉(以上南画家)、大窪詩仏(漢詩人)
観桜忍城主
阿部忠秋公・阿部正能公・阿部正喬公・松平忠国公など
境内掲示板
三陀羅法師熊谷桜狂歌碑
「我も其 阿弥陀笠きて 咲花に うしろは見せぬ 熊谷さくら 三陀羅」
三陀羅法師(別号、千穐庵)は寛政、文化期の江戸狂歌師。 同時期の戯作者である十返舎一九は、好評を博した滑稽本「東海道中膝栗毛」の文中で、一九の狂歌師匠が三陀羅である事を明かした為、その名声は一躍江戸庶民に周知された。石上寺へは、文化五年(一八〇八)三月十三日、熊谷桜観桜雅会に臨席の為、南画家浦上春琴らと共に来訪、蓮生(熊谷直実)帰郷逆馬の故事を揶揄したこの狂歌一首を詠じた。 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
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更新情報 |
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最終
更新者】zx14r
【
最終
更新日時】2024/08/31 11:49:42
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