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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
| 住所 |
埼玉県本庄市牧西539 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス |
JR高崎線本庄 徒歩38分 |
| 御朱印授与時間 |
|
| 電話番号 |
0495225020 |
| FAX番号 |
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| 公式サイトURL |
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| 御本尊 |
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| 宗派 |
真言宗豊山派 |
| 創建・建立 |
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| 由来 |
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| 神社・お寺情報 |
新編武藏風土記稿
榛澤郡牧西村
寶珠寺 新義眞言宗兒玉郡小茂田村勝輪寺末 延命山地藏院ト號ス 慶長二年寺領十石ノ御朱印ヲ賜フ 本尊ハ地藏ナリ 鐘樓 寬永四年鑄造ノ鐘ナリ 稻荷社 觀音堂
境内掲示板
宝珠寺
所在地 本庄市大字牧西五三九番地
開基開山年代は不詳。延命山地蔵院宝珠寺と称し初代廣源は寛永十二年(一六三五)三月二十三日示寂している。慶安二年(一六四九)八月二十四日には徳川三代将軍家光より御朱印石高一〇石を賜う。なお当寺は、文明九年(一四七七)五十子合戦により兵火に罹り古文書記録等は悉く焼失し、その後檀信徒の斡旋協力により再興を為し旧観に復したが寛政二年(一七九〇)正月十日に至り村内より失火し本村五十余戸を類焼し、その際宝珠寺建物を焼失したと云う。現在の本堂は文政二年(一八一九)二月二十九日建立し、これが斡旋をしたのは宝珠寺住職二十六世盛照法印代に檀信徒の協力一致により再興し旧蹟を失わず荘厳昔日に復した。
また明治三十年(一八九七)一月二十六日には村内から失火し本堂に飛火したが全焼を免れた。これを機会に茅葺を瓦葺に改造した。
次いで明治三十五年(一九〇二)十月より三十六年四月に至って山門の修理ならびに塗り替を行い、その後昭和八年(一九三三)に三十四世住職大野秀禅代に庫裡を新築する。昭和三十二年(一九五七)三十七世住職伊藤秀定代に本堂の瓦葺のふき替及び山門の修理を行い、昭和四十六年(一九七一)四月には墓地整理、昭和四十八年(一九七三)には歴代住職の墓地の整理、昭和五十三年(一九七八)には檀信徒の協力により本堂の土台取替を行い、現在に至っている。
昭和六十一年三月
埼玉県
本庄市
境内碑
碑文
山門の経歴
山門とは本堂を法空涅槃にたとえてその所入の端緒なる三解脱門であり、即ち「空門」「無相門」「無作門」と云い「智慧」「慈悲」「方便」を表している。
当山の創立は不詳なるも、開山当初より山門が存在していた事は世世代々云い伝えられており、本堂は焼けたが山門は一度も焼けた事は無いとの古老の一致した話がある。二階には梵鐘が吊ってあり、鐘楼門も兼ねた山門である。
また、この山門は慶安二年に、時の三代将軍徳川家光公より「御朱印高拾石、その内訳として、田四畝二十七歩、畑八反五畝十二歩を山門に賜ふ」とある。その後代々の将軍より御朱印を賜ったが、徳川幕府崩潰、及び大政奉還により御朱印制度が終了し現在は其の寫しを保存してあるのみである。昔からの古老の一説に、「元和三年、時の二代将軍徳川秀忠公時代に家康公の御遺体を久能山より日光に改葬する道中、この寶珠寺の山門に休息され、その縁として拾石を賜りし」との云い伝えが残っている。
五代将軍徳川綱吉公時代、梵鐘には当時の奉納者氏名が記載されてあった。しかしながら、その梵鐘は昭和十七年十二月二十一日今事大東亜戦争のため供出され、現在は、後日の参考として当時の梵鐘記載文字が控えとして保存されている。
十一代将軍徳川家斉公時代寛政二年に当時の寺社奉行所に提出した物と同一と思われる古絵図面が残存し、その中に鐘楼門として「桁行三間四尺、梁間二間半」の記載がある。
現在に至るまでに、文化二年十一代将軍家斉公時代(寶珠寺第二十六世盛照代)、その後明治三十六年(寶珠寺第三十四世秀禅代)に修理並びに塗替えがされている。また、昭和三十三年(寶珠寺第三十七世秀定代)の塗替え並びに修繕の際には、天井裏より一片の竹に「武州榛沢郡牧西村延命山地蔵院寶珠寺の内大工助八」と明記されたものが発見されている。
延命山地蔵院寶珠寺第三十七世 秀定代
山門の修復
平成十七年から平成十八年において、山門及び仁王尊像の解体修復工事を行った。
仁王尊像の解体の際に胎内から発見された一枚の木札には、
表 明和六年四月吉祥日
奉彫刻那羅延堅固・院内安全五穀成就の祈処
裏 定朝末流 上野国碓氷郡板鼻住人
大仏師 田中住司 同笛琴八良安作之
と明記されていた。
今回の仁王尊像の解体修復は東京都西新井在住の姫路青峯・翠峯両仏師によって手がけられた。
今回の山門解体修復工事では、建立年月日を示すものは発見されなかったが、明治十七年内務省発行による「新編武蔵風土記稿」によると、山門は宝永四年建立との記載が見られる。
この度の山門及び仁王尊像の修復成就は、寶珠寺本尊護持と各家先祖に対する報恩感謝の表れであり、檀信徒一同の理解と協力の賜である。
平成十九年 春彼岸
延命山地蔵院寶珠寺第三十八世 忠行代 |
| 例祭日 |
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| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2026/03/14 20:36:10
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