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★★★★ 参拝日:2024年7月27日 10:05
参拝日:2023年12月17日 00:00
★★★★★ 参拝日:2023年5月21日 09:12
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住所 | 東京都青梅市柚木町1-4-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | JR青梅線石神前 徒歩13分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0428760454 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://sokuseiji.com/ |
御本尊 | 【不空羂索明王】不空羂索観音が明王に変化した仏であり、仏像としては当山に祀られている本尊が我が国唯一といわれています。 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
創建・建立 | |
由来 | 当寺は開創以来、千年の歴史を有する、真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)の寺院です。
伝説では平安時代の初め、弘法大師の甥、智証大師円珍和尚が諸国巡礼の折、寺の裏山、現在の吉野山園地の辺りに明王像を祀ったことが始まりといわれています。 鎌倉時代に明王像の霊験を聞きつけた、征夷大将軍源頼朝が畠山重忠(はたけやましげただ)に命じて、現在地に伽藍(がらん)を築かせ、関東に真言の教えを広めていた元瑜僧正(げんゆそうじょう)を開山に迎えたといわれています。 寺号の即清寺は重忠の真言宗での戒名、勇讃即清大禅定門から名づけられています。 火災など数度の盛衰を経て、室町時代に入ると、高野山で弘法大師の再来といわれた学僧、印融法印(いんゆうほういん)を中興住職に迎え、寺勢はますます盛んになりました。 江戸時代以降は、将軍家光の頃の慶安年間、吉宗の享保年間に伽藍を大きく造営した記録が残っていますが、明治の火災で、本尊である明王像をはじめとする仏像以外はすべて失われました。 現在は明治三十八年再建の庫裡客殿(くりきゃくでん)、昭和十四年再建の本堂、鐘楼(しょうろう)昭和五十五年再建の山門が、それぞれ檀信徒の貴重な浄財を基に整備され、かつての様子を今に伝えています。 |
神社・お寺情報 | 関東八十八箇所・第71番札所
多摩四国八十八箇所・第51番札所 境内掲示板 市指定史跡 愛宕山明王院即清寺 即清寺は真言宗の寺院で、本尊は不空羂索大忿怒明王である。 元慶年間(八七七~八八五)元喻和尚の開創により、建久年間源頼朝が畠山重忠に命じて造営し、また印融和尚が中興したとも伝え、鎌倉から秩父間のいわゆる鎌倉古道に面する要衝のため、中世期にはかなりの隆盛を極めたものと考えられる。 大永年間(一五二一~一五二八)に火災にあったが直後に再建され、八王子城主北条氏照にも信仰された。 江戸時代は明王堂領および愛宕権現の別当寺で、明王堂領三石の朱印状が寄せられた。 明治三十一年火災にかかり、明治三十九年に庫裡が、また昭和十四年に本堂、鐘楼堂が再建された。 境内には十三仏結衆板碑、文人根岸典則が撰文し、小林天淵の筆による古碑・古仏等、また、吉野山園地への山道に新四国八十八ヶ所霊場がある。 昭和三十年十一月三日 指定 青梅市教育委員会 境内碑 愛宕山即清寺山門建立記念 愛宕山即清寺はもと明王堂と称し 陽成天皇の御代元慶年間(紀元八八〇年)元瑜和尚の開山に係り 建久年間源頼朝が畠山重忠に命じて造営し 本尊不空羂索大奮怒明王像は智證大師の作と伝えられる 享保十二年丁未歲覚珍法印代楼門を再建し(間口二十七尺 高さ五十四尺)その豪華な建築の美に斯界の白眉であったと謂う 斯くして古色蒼然たる美観を保ったが 偶々災火のため明治三十一年三月庫裡僧房 本堂と共に此等殿堂伽藍は悉皆全焼の憂き目に遭った 明治三十九年四月に至って第三十七世畠山融学和尚代に壮厳優雅な現庫裡客殿を建造し次で昭和十四年第三十八世金子融仁和尚代に於て寺檀協力壮厳優美な現本堂を再建し 旧に倍する壮観を呈するに至った。 此の度弘法大師一千百五十年御遠忌 竝に当山開創一千百年と 併せて山内新四国八十八箇所霊場創設百十年を記念して 昭和五十三年当山総代 護寺会委員 愛宕神社総代等により山門建設委員会を結成し 現住職第四十世増澤秀丸和尚を代表としてこれが建立を企画した 而して昭和五十四年七月着工 間口二十五尺余 奥行十五尺 総高二十七尺六寸に及ぶ優秀美麗なる木造建築の粋を集めて同五十五年十月完成 当山の偉容も漸く整備するに至ったのである これ偏に建設に協賛を惜しまなかった檀信徒の絶大なる努力の賜であり 建設従事者の並々ならぬ尽力と併せて深く感謝し 茲に記して記念とする次第である 昭和五十五年十月吉日 愛宕山即清寺山門建設委員会 境内碑 梵鐘新鋳と鐘楼屋根改築竝庫裡客殿及本堂屋根修復記念の碑 愛宕の霊峰は高く聳えて多摩の川淙々と流るる處 法水此の地に漲りて法燈連綿寺門愈々興る 茲に愛宕山即清寺本堂屋根修復工事滞りなく竣成するに當り 曩に実施したる梵鐘の新鋳竝鐘楼屋根改修及庫裡客殿屋根修復工事の概況を併せ記して以て永く後昆に伝えようとするものである 梵鐘の新鋳竝鐘楼屋根改修 宝永七年庚寅歳往転覚珍代に於て鋳造された梵鐘は 昭和十九年太平洋戦争の軍需資源として供出の止むなきに至り梵響俄に絶ゆるに至ったので 之に代るべき新鐘鋳造の議次第に檀信徒一致の熟望となった依而昭和以十九年二月代表者大阪市老子製作所に出張新鐘鋳造方委嘱し併せて本山長谷観世音に詣でて大願成就方を祈願した 機熟して同年三月新鋳の梵鐘(径七十五糎 重量五百三十頓)着荷し 同月二十八日新鐘供養を挙行して盛況を極めた 尚鐘楼堂の屋根は従来亜鉛板葺の為め腐朽甚しく之が屋根葺替を企図した処檀徒総代岩田佐一氏より屋根瓦竝葺替費の寄進申出があったので 裏面記載の通り同氏の寄附を得て昭和三十四年六月無事之を実施完成した 以下略 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2024/08/03 15:51:39 |