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参拝日:2025年1月12日 00:24
★★★★★ 参拝日:2023年7月2日 11:55
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参拝日:2021年3月5日 18:06
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住所 | 神奈川県藤沢市渡内1-1-1 |
五畿八道 令制国 |
|
アクセス | 小田急江ノ島線藤沢 徒歩19分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0466220151 |
FAX番号 | 0466285753 |
公式サイトURL | http://tengakuin.jp/ |
御本尊 | 千手千眼観世音菩薩 |
宗派 | 曹洞宗 |
創建・建立 | 明応四年(1495) |
由来 | 天嶽院の歴史は真言密教の古寺「不動院」から始まります。
治承四年(1180年)源頼朝公は伊豆で挙兵、鎌倉を目指しますが、途中「不動院」に立ち寄り不動明王様に大願成就祈願をされたとの伝説があります。 明応四年(1495年)北条早雲公によって伽藍の一宇が創建され、「不動院」を改めて曹洞宗の禅寺とし、虚堂玄白禅師を迎えて開山とされました。 しかし天正四年(1576年)四世住職の代に火災に遭い伽藍は全焼しました。 その後玉縄城主北条綱成・氏繁公父子が北条早雲公菩提の為発願し、重ねて伽藍を復興されました。 更に紀伊大納言徳川光貞卿は六世住職に帰依すること篤く、師の為に七堂伽藍を建立されました。この伽藍図が「相中留恩記略」巻之十八に記載されています。 天正十八年(1590年)徳川家康公は小田原城落城後玉縄城周辺を巡見、天嶽院に立ち寄られ梅を植えられたとの伝承があります。また天正十九年(1591年)には家康公から三十石の朱印地を賜った記録もあります。 残念ながら七堂伽藍は安政二年(1855年)二月二十六日、二十二世住職の代に再び火災に遭い悉く焼失しました。この時焼失を免れた茅葺屋根の山門は江戸中期に水戸光圀公が建立されたと伝えられています。 昭和五十一年(1976年)春、伽藍復興に着手二十年余を経て平成十年(1998年)七堂伽藍は室町時代の様式に統一して復興されました。 平成二十六年(2014年)四月、山門茅葺き替え工事中に六枚の棟札が出現しました。最も古いものは安永九年(1780年)七月、二百三十四年間に今回を含めて七回葺き替えられています。 また上述の歴史の一部は座禅堂に保管中の古梵鐘(安永三年、1774年鋳造、十四世住職の代)の四面に刻まれた銘文からも読み取れます。 (「天嶽院の歴史」から) |
神社・お寺情報 | <境内 花便り>
二月 梅 三月 桜・もも 四月・五月 もみじ新緑 六月 さつき・あじさい 十二月 もみじ紅葉 (「天嶽院」パンフレットから) |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 北條三鱗 |
更新情報 | 【
最終
更新者】ずっく 【 最終 更新日時】2018/11/26 17:28:30 |