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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県さいたま市緑区大間木1522 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR武蔵野線東浦和 徒歩5分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-873-3503 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
奇稲田姫命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
氷川女体社 御由緒
さいたま市緑区大間木一五二二
□御縁起(歴史)
かつて、東京湾が大宮台地の辺りまであったころ、当社の北側の崖の下は入り江であったと伝えられる。附島という地名も、こうした太古の海の名残の一つで、江戸時代には一村であったが、規模が小さかったことから明治九年に大間木新田と共に大間木村に合併され、その一小字となった。
この附島の地に、氷川女体神社が祀られるようになったのは、恐らく三室村(現緑区宮本)に鎮座する氷川女体神社の社領が村内にあったことに関連するものと思われる。見沼溜井の造成によって水没した三室村内の氷川女体神社の社領二〇石分の替地が、附島村内に与えられたのは寛永六年(一六九二)以降のことであるから、当社の創建は、その時期よりやや降るころと推測される。
『風土記稿』によれば、当社は江戸後期には「女体明神社」と呼ばれ、村民の持ちであったとされている。附島は、元来は吉田一家(一族)の集落であったといわれ、今でも住民の三分の一は吉田姓であるが、その本家とされるのが吉田喜蔵家である。したがって、ここでいう「村民」とは、現在の吉田喜蔵家の先祖のことと思われる。なお、江戸時代の中ごろに同家の当主であった治郎左衛門は修験者で、明和年間(一七六四~七二)から安永二年(一七七三)にかけて東北から四国に至る諸国を巡礼しており、その納経帳が現存している。 |
神社・お寺情報 |
水盤 安永九庚子年八月(1780)
境内掲示板
市指定有形文化財(建造物)
附島氷川女体社本殿 一棟
昭和五六年四月四日指定
一間社流造りの小本殿です。身舎の間口が六九・〇cm、奥行きが六一・〇cm、向拝の出が五一・〇cmあります。土台上に建ち、身舎柱は円柱で、長押で固められています。柱上は舟肘木造出しの桁がのります。妻飾りは豕扠首です。向拝柱は角柱の大面取りで、柱上は出三斗で桁を受けています。身舎とは繋虹梁で結ばれていますが、左右の向拝柱を結ぶ虹梁は省略されています。身舎の正面は板唐戸で、縁板は正面のみに向拝柱まで張られていて、「見世棚造り」となっています。木階はその前面につきます。軒は二重繁垂木で、屋根はこけら葺きとなっています。
この建物には建立年代を伝えるものは残っていませんが、江戸時代初期と考えられます。
平成十一年二月
宗教法人氷川女体社
浦和市教育委員会 |
例祭日 |
・禦(五月十五日)・村祈祷(七月十六日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2022/02/13 08:44:18
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