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★★★ 参拝日:2023年5月29日 14:22
【本堂前】 御朱印:300円
参拝日:2023年12月17日 00:00
書置き
参拝日:2023年9月6日 00:00
参拝日:2023年5月3日 00:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 広島県広島市東区山根町29-1 |
五畿八道 令制国 |
山陽道 安芸 |
アクセス | 山陽新幹線広島 徒歩10分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 082-264-1220 |
FAX番号 | 082-264-1235 |
公式サイトURL | https://shokoj.jimdofree.com/ |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 曹洞宗 |
創建・建立 | 応永元年(1394年) |
由来 | 「聖光寺」は、山号を洞景山と称し、広島県下唯一の曹洞宗大本山總持寺元輪番地です。応永元年(1394)賀茂郡豊栄町に、悦堂常喜禅師を開山として階層。七堂伽藍を配し、塔司12ヶ寺を擁する大寺院でした。二度の火災において焼失し、寛永元年(1624)現在の広島市中区小町に移転。寺基を定めました。昭和20年8月原爆で全堂宇を焼失。昭和50年(1975)現在地の瑞川寺と合併し、寺号を聖光寺として再出発しました。「瑞川寺」は広島で最も古い寺の一つ。かつては吉田町にあって、山号を万松山と称していました。創建は不明。住職の明室周尊和尚が、毛利元就親子より厚くもてなされ、その縁で孫の輝元が天正17年(1589)広島城を造営するため広島に来て、明星院山(現在の二葉山)に登り検分した際、この寺に泊まり、五箇ノ庄(箱島、在間、平塚、鍛冶塚、広瀬)などと呼ばれていた地名を広島に改め、広島山の山号を贈ったと伝えられ、現在の山号をなっています。菅原道真公が九州へ下向する道中に立ち寄り、「水を掬す瑞川の流、月を弄す二葉の里」の詩を残したといわれ、二葉山、瑞川寺の名称の起源とされています。
伝説によると、元禄14年(1701)赤穂義士討ち入り成就の知らせを国元の広島藩浅野家に報告し、持ち帰った大石内蔵助父子の遺髪を浅野家菩提寺の国泰寺に葬って欲しいと申し出たところ、科人故、浅野家は遠慮し瑞川寺に葬ることになったという。寺には大石内蔵助父子の供養墓があります。 |
神社・お寺情報 | 札所:二葉山山麓七福神めぐり「布袋尊」 |
例祭日 | 1月1日:修正会 元旦~7日:七福神参り 3月春分の日:春季彼岸法要 9月秋分の日:秋季彼岸法要 11月第1日曜日:観音例祭 12月31日:除夜の鐘 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】優雅 【 最終 更新日時】2023/06/01 00:47:20 |