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基本情報
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住所 |
埼玉県入間郡越生町西和田317 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR八高線越生 徒歩9分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
049-292-3919 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
天児屋根神 武甕槌神 斎主神 比売神 誉田分神 木花咲耶比売神 菅原道真公 倉稲魂神 大己貴神 太田神 大宮比売神 中筒男神 表筒男神 底筒男神 神功皇后 大日靈神 十六柱之神を祭る |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
由緒
延曆元年(七八二年)創建
内裏山獅子岩の傍に祭祀されたるを征夷大将軍坂上田村麻呂東夷征伐の際、現在の地に遷し宮殿を築し内裏大明神を祀る。平将門が当地に内裏を置いたとされ、その後、延喜年中常陸大掾、平国香(將門の伯父)が修繕、松山城々主上田能登守の再建を経て、寛政十年四月内裏大明神を改称春日大明神改め、春日神社、越生十六郷総鎮守と定む。慶安三年将軍徳川家光より社領を賜う、明治四年上地令によりこれを奉還。
猶、平安末期藤原季綱公、越生郷に居住し、阿諏訪山に遊猟せし時氏神秩父郡高山の峰に光を放ち、季綱公之を謹み拝し当社に祭ると伝承されている。
内裏と称するは越生郷内、内裏宮常住、明応三年と有る、内裏の称累代社家石井氏の家号と同じくするもの也、昭和二十年以降国家の庇護を離れ氏子崇敬者皆様の基とし現在に至る。
現在の社殿は今上陛下御大典(平成五年)の折改修されたものである。
平成二十八年八月吉日
春日神社宮司記
新編武藏風土記稿
入間郡和田村
春日社 慶安二年社領五石ノ御朱印ヲ賜フ 天文十二年龍穩寺第七世僧良筠カ書シ緣起ヲ閱ルニ 當社ハ昔藤原季綱ト云人左遷セラレ 此越生鄕ニ幽棲シテ 一日阿諏訪山ニ遊獵セシニ 其氏ノ神ハルハルト慕ヒ來リ 秩父郡高山ノ峯ニ光ヲハナツ コレ則毛呂明神ナリ 季綱謹テ拜シ ヤカテ一體ヲ二所ニ祝ヒ祀リ 當所ニ祭レルヲ內裡明神ト稱セリ 今按ニ此緣起ノ原本ニハ毛呂ノ先祖季綱ヲ季綱親王ト記セリ又當國ヘ配流セラルト記セシハ共ニ誤ナリ 季綱ハ毛呂太郞カ名乘ニテ東鑑ニモ此人ノコトヲノス 殊ニ毛呂ハ藤原姓ニテ皇別ノ家ニモ非ス 又當國ハ古ヨリ配流ノ例ナシ 緣起ノ妄ナルコト知ヘシ サレト內裡ト稱スルコトハ舊キコトニヤ 堂山村最勝寺ノ什物大般若經ノ櫃ノ裏書ニ越生鄕內裡宮常住也明應三年トアリ 然ルヲ慶安年中御朱印ヲ賜ンコトヲ願シ時 內裡ノ唱大內ニフルル故書替シト云 又云此社ハ延曆元年村內願龍山ト云所ニ鎭座セシヲ 永祿元年上田能登守今ノ地ヘ移セシト云 此說ノ如キハ前ノ緣起ト異ナリ 例祭九月廿八日廿九日ノ兩日流鏑馬ヲ修行ス 此流鏑馬式ノ來由尋ルニ 近戶權現別當最勝寺古當社ノ別當職ヲ兼シ頃 當社ノ寶物大般若經ヲ所望シ 神職及氏子ニ勸テ最勝寺ニ送リシ時 彼近戶權現ノ舊例ニ行ハルヽ流鏑馬式ト易シヨリ 以來當社ニテ行フト云フ サレト今モ社內ニ大般若經二三卷アルハ ソノカミ最勝寺ヘ移セシ時タマタマ取遺セシナラン 此社今ハ今市大谷黑岩及ヒ當村ノ鎭守トナセリ
攝社 太神宮 八幡社 末社 八百萬神社 稻荷社 天神社 神職 石井肥前 京都吉田家ノ配下ナリ |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】銀ムツ
【
最終
更新日時】2024/12/14 12:53:23
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