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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県三郷市新和4-617 |
五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
アクセス |
つくばエクスプレス線三郷中央 徒歩21分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-952-9161 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
日本武尊 國常立尊 稲倉魂命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
横堀御嶽神社由緒
伝説によれば、昔、田の中から出てきた、「御嶽神社」と文字の刻まれた舟形の石を、村人が盛土してお祀りしたのが当社の始まりとされ、その年代は不明です。
当地は、低地帯のため水害が多く、悩んだ村人は川を鎮めようと慶長十年(一六〇五)頃、江戸川堤防上に「水防稲荷・水神宮」の石祠を建てて信仰していましたが、元禄年間(一六八八~一七〇四)当社に合祀したとの社記があり、少なくとも江戸時代の初期には、横堀の鎮守として奉斎されていたと推察されます。「風土記稿」横堀村の項に、「稲荷社 村の鎮守なり、東福寺の持」とあることから、東福寺の管理で、一時期「稲荷社」と称していたとも考えられますが、明治になって小澤山城守平宣安氏が神職となり、東福寺の管理を離れて、明治五年、村社御嶽神社となりました。(東福寺は神佛分離の後、明治八年廃寺となりました。)
現在の社殿は三間社流造りで、明治三年、二十七戸の氏子によって、新たに造営されたものです。明治四十三年四月、埼玉県知事の許可を得て、無格社荒神社が合祀されましたが、当時当社の境内は弐百拾参坪、不動産田反別壱反六畝廿弐歩を所有し、社殿より埼玉県庁迄の距離八里五町と記録されています。
昭和三十三年、江戸川の改修に伴ない、境内地を移転しましたが、昭和四十七年、故あって、現在地に再度の移転をされました。昭和六十三年十月、瓦葺きであった本殿・拝殿の屋根を、銅板で葺き替え改装し、現在に至っております。
なお、横堀の地名について、文献によれば、鎌倉時代、長戸呂氏の家臣横川氏が開拓を行った際、堀を造ったことに由来する説と、江戸初期に当地を開発した伊奈半十郎の臣、横堀某の名にちなんだとの説がありますが、現時点では、どちらが正しいか判断がつかないとされています。
御嶽神社のご神徳は普く、中でも、病気平癒にはあらたかなご利益があるとされ、古くからお百度・塩断ち・酒断ち等の願をかける人が少なくなく、氏子の守り神として信仰されております。
御祭神
日本武尊 國常立尊 稲倉魂命
祭儀
元旦祭 一月一日 初詣で
初午祭 二月 日 日時は番が決める 氏子帳の申し送り
夏祈祷祭 七月十八日 お守り札と紙垂をつけた笹を疫病が入らぬように村境に立てる
例大祭 十月十八日 秋祭
お備社祭 十一月十五日 年番帳の申し送り 七五三祝い
行事
宮薙 七月十四日 境内地の清掃
年末大掃除 十二月 日 日時は年番が決める 社殿境内地の清掃 元旦祭の準備
氏子
明治三年 社殿造営 二十七戸
明治四十三年 荒神社合祀 三十戸
昭和三十三年 江戸川改修境内地移転 四十八戸
昭和四十七年 境内地再移転 五十八戸
昭和六十三年 屋根葺き替え改装 六十三戸
平成七年 十一月現在 五十五戸
平成七年十一月吉日 氏子一同 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
11月15日 |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2025/03/09 15:03:50
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