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基本情報
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住所 |
埼玉県三郷市高洲2丁目384 |
五畿八道 令制国 |
東海道 下総 |
アクセス |
新京成電鉄線松戸 徒歩21分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
048-952-9161 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
稲蒼宇加迦之神・国常立尊 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内碑
記念碑
久兵衛稲荷神社由来
鈴木久兵衛と言う者が開いた事に由来する。
元禄十年(一六九七)の地検水帳に稲荷大明神と記載され 「風土記稿」に稲荷社、村の鎮守なり、本隆寺末社天神と記され享和元年(一八〇一)には、荼枳尼天神像が再興されている。
祭神は、稲蒼宇加迦之神・国常立尊の二柱にて、天神社は天満天神像を祀利、享保十七年(一七三三)台座墨書、正中山日精師開眼腹籠ニ納ムル者也別当本隆寺日寛、嘉永四年(一八五一)再開眼、本隆寺二十一世日洞と記されている。
神社行事としては、大正初期より毎月二十二日に稲荷講と稱し無尽が開かれて昭和二十年まで続いていた。また一月、五月、九月末には辻ぎりと稱し、竹笹の竹筒の中に神酒を入れ部落の境界に建て、悪病を防ぐという行事も昭和四十年頃まで続いた。また、七月二十二日には土用干の行事あり獅子頭を擔いて部落中一軒毎に廻り、悪魔拂いの祭事を行った。これも昭和五十五年頃中止となり、今では虫干に更る。
現在の年間行事は、一月一日の元旦祭、二月の初午祭、七月第一日曜日の定期清掃、七月二十二日の土用干、十月第一土曜日の定期氏子総会、十一月二日の宵宮、十一月三日の祭礼(神輿は協議により随時渡行)、十一月十五日の七五三御祓い、十二月三十日の煤払い等である。
遷宮経過
移転問題は昭和五十八年八月、国道二九八号建設說明会に始まる。建設省北首都国道事務所と何十回となく協議折衝、行政の方々や多くの地域の人達のご協力を得ながら、代替地、予算等多くの難問を抱き苦労の連続であった。其の間バブル期等も重なり、空白の数年を経る。平成八年十月代替地浮上、国道事務所と協議、九年度予算にて解決出来るとの内諾を得、直ちに地権者(鶴岡一男氏)と話し合い、総代一同の協議により共積信用金庫三郷支店より資金借入、平成八年十一月十四日代替地取得する。平成九年五月八日国道事務所と旧社殿地売却契約成立、爾来十五年に亘る問題解決する。永年に亘り、待望せる新社殿並びに付帯構築物が完成した事は何よりの喜びであり、多くの関係された方々並びに氏子一同のご協力の給ものと深甚なる謝意を申し上げると共に氏神が此の地を未来永劫に御護り下さる事を念願するものであります。
平成十年十月吉日 (西暦一九九八年)
宮司 恩田芳之 総代 鈴木一男
総代長 鈴木清 同 永塚守利
総代(会計) 鈴木昭一 同(会計)永塚光洋
同 高橋庄三郎
設計 台東区(株) 新田建築設計事務所
施行 足立区(株) 三浦工務店 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2025/03/09 15:28:27
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