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基本情報
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□御緣起(歷史)
滝馬室は、隣の原馬室と共に、室町期-戦国期に見える「馬室郷」から生じたという遺称地で、その郷名は『埼玉県地名誌』によれば、古墳の石室を示す「むろ」から生じたという。元禄年間(一六八八-一七〇四)までに分村したらしく、『元禄郷帳』に滝馬室村と見える。
当社は荒川低地を望む台地上に鎮座している。老樹に囲まれた境内の一角からは清水が湧き出し、「御手洗の地」となっており、更に滝となって水路に注ぎ、当地一帯の耕地を潤している。この滝が村名の由来になったといわれており、古くから当地の重要な水源であったことが推測される。 恐らくいつのころか当地に住み着いた人々が、湧き出る水の恵みを称えてその傍らに当社を祀ったものを思われる。また、伝説によれば「延暦年間(七八ニ-八〇五)坂上田村麻呂が東征の途次、農作物を荒らす大蛇を退治して、頭を当社に、胴体を地内の常勝寺に、尾は吉見町の岩殿観音に埋めた」とあり、当社と常勝寺のかかわりもうかがわせる。常勝寺は 開山開基共に不詳であるが、境内には文永七年(一ニ七〇)「為種法人道也」などの古碑が残されており、古い時期の草創と思われる。
当時の別当は、当社隣地にあった真言宗吉祥寺で、常勝寺の末寺で竜泉山と号し、開山光瓊が天正十一年(一五八三)に寂している。当社は寬延二年(一七四九)に神祇管領卜部兼雄から幣帛を受けた。
足立郡瀧馬室村
氷川社 村內ノ鎭守ナリ社地ノ御手洗ヨリ落ル瀧アリ當村瀧ノ名ヲ冠リシハコノ故ナリト岸上ニ石ノ不動ヲ置リ
鴻東市指定無形民俗文化財
昭和四十五年三月十日指定
滝馬室的祭
滝馬室の氷川神社に的祭(まとうさいともいう)の神事が伝えられている。
延暦年間(七八二~八〇五)征夷大将軍坂上田村麻呂は東北遠征の途中、この地の住民に悪竜(大蛇)退治を依頼されたという。
田村麻呂に追いつめられた悪竜は、滝馬室常勝寺の山林にのがれ、桜の巨木に巻きついたので、田村麻呂は竜の目を射抜いて退治したという。竜の頭は氷川神社境内に、胴体は常勝寺に埋められた。ために常勝寺は竜蔵山と山号が付され、桜は蛇桜と呼ばれるようになった。
的祭はこの口伝にちなんだ五穀豊穣の祈願祭であり、一時中断されていたが、貞享年間(一六八〇年代)島田常勝という人が復興し、氷川神社の祭礼として現在まで伝えられている。昔は、衣服に関しても直衣を着用するなど格調高く、儀式も厳しく、関係者は心身を清めてそれぞれに奉仕したようであるが、今はその点ゆるやかになっているのは時勢によるところである。
的祭は例年一月十二日に執行されている。神事は氏神に祝詞を奏上した後、地元の十二歳になる子供たちが、葦の網代に蛇の目を描いた的をめがけて矢を射た後、氏子一同神饌物を食し豊作を祈願して終了となる。
平成二十八年 六月
鴻東市教育委員会

【 最終 更新日時】2023/03/25 18:26:50