みんなの御朱印
56
まっちーさん
2020年10月11日 11:00
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基本情報
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住所 |
埼玉県ふじみ野市大井2-4-30 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武東上本線ふじみ野 徒歩10分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
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FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
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創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
大井氷川神社
神社名 氷川神社 (通称 氷川様)
旧社格 村社
祭神 素戔嗚尊 奇稲田姬命 大己貴命
神社の創立については不詳ですが、慶長元(一五九六)年にはこの地にすでに神社があったともいわれています。(入間神社誌)
神社地より南に本村と呼ばれる地名があり、中世には、その地租神として根上明神が祭られ、大きな社地を有していたと伝えられています。文政一一(一八二八)年に成立した『新編武蔵風土記稿』にも「根上大明神 祭神を詳にせず、例祭三月二二日、九月一八日両日を用ゆ」と記されています。文政元(一八一八)年一一月、根上明神社がすべて焼失したので、その再建のための資金用立として勧進相撲の興行願いが川越藩へ出され、受理されています。(川越藩日記)。しかし、その後、飢饉等が重なり再建は思うにまかせず、文政九(一八二六)年・嘉永二(一八四九)年の両度、用材として境内樹木の伐採願いが提出されるなどし(灌頂院文書)、ようやく再建されました。また、弘化五(一八四八)年二月の古文書に「正一位氷川根上大明神」とあり(入間神社誌)江戶末期に柱神となったようです。
根上明神社の他、大井の地には旧来、稲荷・久田・高根・金山・神明・第六天・弁天の諸社があり、弁天と第六天を除く各社は、後に根上明神社境内へと移転されています。
明治維新の神仏分離令により旧来の徳性寺支配は廃され、神官(新井惟勝)が置かれることになりました。その際、根上明神社は摂末社となっています。明治五(一八七二)年には、大宮の氷川神社を勧請し、社殿の新築も行われて、村社となっています。
大井地区では、毎年七月に大井氷川神社に合祀されている八雲神社の祭礼「天王様」が行われます。疫病退散を願って行う天王様は、古文書から文政七(一八二四)年頃には祇園祭礼として行われていたようです。祭礼当日には神輿が引き廻され、屋台では囃子保存会による「ひょっとこ」・「おかめ」などの演目が賑やかな囃子と共に上演されます。
昭和六二(一九八七)年三月 令和三年三月改稿
ふじみ野市教育委員会 |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
大井氷川神社 年間祭典行事
●春の例大祭 四月十五日
春にあたり、稲を始めとする食物の豊作をお願いするおまつり。
古くからわが国は、農業がその基幹をなしており、その消長は直ちに国力に響いたので、農業の発展は、即、工業、商業、漁業等の進展に通ずるものであった。
その為、五穀の豊穣を祈ると同時に、あらゆる産業の発展を祈り、国家国民の安泰と繁栄を祈るまつりでもある。
●八雲神社例大祭、天王様 七月中旬
天王様とは御祭神、建速須佐之男命の別名。八俣大蛇を退治された神様として伝わる。罪、穢れや悲しみ、喜び、そして性、死といった自然界、人間界の避けがたい運命を良い方向に導く神様であり疫病除け、招福の神様のまつり。神輿渡御の神事がある。
●大祓い式、茅の輪くぐり 八月一日
人は本来、神様の心をもっているが、生活している間に知らず知らずにその心も曇り、罪を犯し、穢れに触れて、神様の心から遠くなっていく、それを祓によって本来の心に帰る行事。人形で身を撫で息を吹きかけて罪穢をうつし清める。
また「茅の輪くぐり」といって夏草を束ねた大きな輪をくぐり、暑さ来る災厄からのがれ元気で夏を越せるよう祈願する。
●秋の例大祭 十月十五日
通称「お日待ち」とも言う。農耕民族の日本の国において、最も忙しい夏の農繁期後のひととき、神祭を行い、また慰労し合う。「お日待ち」とは、寝ずに日の出を待ち、終夜酒宴を催す、または、田植えや取り入れ(収穫)の終わった時などに、集落の者が集まって会食や余興をすること。
●新嘗祭 新穀感謝祭 十一月二十三日
新穀を感謝して行うまつり。
春に五穀の豊穣をお祈りしたのに対して、取り入れの秋に神様のお恵みによってその収穫の豊かなのを見るに至ったので、まず新穀を神前にお供えし、そのお礼を申し上げるまつり。宮中におかれても二十三日の夜を徹して、天皇陛下御自らがご祭儀を行わせられる。全国神社で神恩感謝の意をこめて行われ、合わせて皇室、国家、国民の平安と繁栄がお祈りされる。
●元旦祭 元朝祭 (零時初詣) 一月一日
歳旦祭。年頭にあたり、新年をことほぎ、皇室の弥栄はもとより、氏子、崇敬者の平安と社会の繁栄、ひいては国の隆昌を祈念するまつり。
●初午祭 二月うまの日
境内鎮座の稲荷社祭。五穀の守護人であることから、その加護を祈るまつり。太古、二月の初午の日に、稲荷の大神さまが京都伏見稲荷の三ヶ峰に出現になされたので、この日を祈念しておまつりが行われるのだと縁起にある。
境内掲示板
境内の文化財
●手水鉢
嘉永年間(一八四八~一八五三年)「大井町寄付、瀧澤富八」の文字有り。
我が国でも、心身を清めるために身体を水にひたして心身の穢れを洗い清める儀礼。いわゆる「禊(みそぎ)」が行われてきました。また、神社に参詣する際にも、禊を行い心身を清める習俗がありました。とはいえ、禊はどこでも簡単にできるわけではありませんでしたので、神社の境内に手水鉢の水で手や口を洗い清めることで禊としてきました。
この手水鉢は、幕末の嘉永年間、宿場町であった大井町の瀧澤富八によって奉納されたことが、側面の銘文に記されています。
●幟立石
花崗岩製、幟立石(のぼりたていし)昭和九年二月
神社の祭礼などの折りに、境内にその神号や寺号或いは社号を記した幟をつけた棹が
立てられます。その際、この幟棹を固定させるための石造物です。幟立石の他に・幟枠(のぼりわく)・幟挾(のぼりはさみ)などとも呼ばれています。
●屋根瓦
大井町総鎮守旧社務所、氷川神社神主・平朝臣、新井惟利、家
明治三年十月二日上棟・大工、塩野繁造・木挽、新井之右衛門
境内碑
即位式記念工事碑
世上百般之事欲永遠記之則在興事業輓近所謂
記念事業是也 今上叡聖文武皇帝陛下今茲大
正四年十一月十日擧即位之大禮於京都寔昭代
之慶事莫過之者爲幸生于聖世奉拜斯盛其○民
光榮何物加之於茲我大井村社氷川神社氏子相
謀醵金敷石于參道從華表詣拜殿延長二十又九
間其意蓋在託振古未曾有之盛典於千載不朽之
工事以永爲記念爲工成乃授筆叙其意所在告後
昆云爾
大正四年十一月建設 村社氷川神社社掌加治○廣○識 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
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最終
更新者】いろはにほへと
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最終
更新日時】2024/09/03 07:43:58
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