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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県本庄市本庄3-5-44 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線本庄 徒歩11分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0495-22-3267 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
・倉稲魂命(城山稲荷神社)
・応神天皇(八幡神社)
・建速素盞嗚命・牛頭天王(八坂神社) |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
第62回伊勢神宮式年遷宮記念
城山稲荷神社御由緒
▢御縁起(歴史)
本庄市本庄三-五-四四
本庄城は、弘治二年(一五五六)に、本庄宮内少輔実忠が築城したとされる平城である。利根川と烏川に削られた段丘上にあり、北側の段丘の直下を小山川が流れ、南東は久城堀で切断されるという地勢は、自然の要害であったが、天正十八年(一五九〇)の豊臣秀吉の関東攻めによって落城した。 徳川家康の関東入国後、小笠原信嶺が新城主となったが、嗣子の信之が慶長十七年(一六一二)、古河城に移されて廃城となった。 現在、城跡は本庄市指定の文化財となっており、築城時に植えられたという欅の大木は県指定天然記念物になっている。
当社は、本庄城の北東端にそびえるこの欅の大木の傍らに鎮座しており、社伝によれば、本庄城を築いた本庄実忠が、常々崇敬してきた椿稲荷明神を城の守護神として勧請し、城の丑寅(北東)の方角に社を建立して祀ったことに始まるという。 本庄氏は氏神として稲荷神を厚く信仰したといわれ、元の居城であった東本庄館跡をはじめ、本庄氏にかかわりの深い館跡の近くに稲荷社が祀られている例がしばしば見られる。また、天正十八年に新城主となった小笠原氏も、当社を厚く信仰して社殿を再興した。現在の社殿は平成十二年三月に完成したもので、責任役員の森田敬一郎氏によって寄進されたものである。
境内碑
城山稲荷神社創建四百五十年記念碑
城山稲荷神社が当地に鎮座されて四百五十年を迎える。
今を去る弘治二年(一五五六)、児玉党の後裔本庄宮内少輔実忠は、上杉氏を破り関東の覇者となった後北条氏に従い、新たな戦局に備えて東本庄の館を引き払い本庄台地の北端、字天神林に城を築き、守護神として稲荷神社を勧請した。本庄城の築城を機に本城村も誕生した。
天正十八年(一五九〇)、後北条氏が豊臣秀吉に敗れると本庄城も秀吉勢前田利家軍の前に戦う事無く開城した。
新たに本庄領一万石の城主となった小笠原信嶺は、天神林の城を廃して当所に新城を築き、旧城内より稲荷神社をここに遷座した。
その後、本庄城は徳川幕府により廃されるが、城山稲荷神社は五穀豊穣、商売繁盛の神として中山道最大の宿場町である本庄庶民の崇信を集めて来た。
また、町が全国有数の繭の集散地となった明治から昭和初期にかけては、養蚕倍盛の神として周辺町村に講も組織され、例大祭には参拝者が列をなし、芝居や踊り、サーカス等の小屋掛けも行われ、賑わった。
現在、社殿及び境内には国の神社合祀令に従って、明治四五年(一九一二)、本町地内にあった八幡神社、八坂神社、天手長男神社、琴平神社が共に祀られている。
平成十八年(二〇〇六)、本庄の歴史とともに歩んだ城山稲荷神社の創建四百五十年を祝して、ここに石製大鳥居奉納、階段修復、記念誌発刊、記念碑建立を行うものである。
平成十八年四月吉日
建設委員長
全鑽神社氏子総代
本町自治会長
戸谷全克
撰文
柴崎起三雄
境内掲示板
城山稲荷神社
所在地 本庄市本庄三‐五
城山稲荷神社の祭神は、宇加之御魂神である。
当社は、弘治二年(一五五六)本庄宮内少輔実忠が、本庄城の守護神とするため、西本庄の地より椿稲荷明神を城内に奉斎したといわれている。天正十八年(一五九〇)小笠原氏が社殿を再興し、慶長三年九月(一五九八)上州赤城山麓より松樹百本を取り寄せて社内に植え、深く尊崇したと言われる。現在の社殿は天保十五年(一八四四)六月再建したものである。
社殿近くにあるケヤキは、本庄城築城のおり献木されたと伝えられる。現在、目通り周囲六・三五メートル、高さ約三十メートルで県指定の天然記念物となっている。
また、境内に祀られている八幡神社は、応永年間(一三九四~一四二八)村民が勧請したのを、慶長十年(一六〇五)小笠原家の家老脇屋金左衛門が信仰して社殿を再興したものであるといわれており、その後、明治四十一年この地に移転された。
昭和六十一年三月
埼玉県
本庄市
境内碑
城山稲荷神社の歴史は弘治二年(一五五六年) 本庄城築城にあたり城の守護神として祀られたのが始まりである。現存していた社殿は天保十五年(一八四四年)に再建されたもので、既に百五拾余年を経ておりその老朽化は非常に激しいものであった。そのような折、本町在住の崇敬者森田敬一郎氏より建設資金御寄進の申し出があり社殿の建替えが決定し、平成十一年春季大祭後着工、平成十二年三月完成された。森田氏の功徳を讃え感謝の意を込めてここに記念碑を建立する。
城山稲荷神社の例大祭は毎年四月第二日曜日と定め、五穀豊穣を祈願する祈年祭は三月十五日に、秋の収穫を感謝する新嘗祭は十一月二十四日に行われている。
八幡神社は応永年間(一四〇〇年頃)に村民が勧請し、その後小笠原家の厚い信仰をうけ慶長十年(一六〇五年)社殿が再興された。昭和初期には参詣者で賑わいを見せたが現在は城山稲荷神社の例祭に併せて祭典が行われる。
八坂神社は本庄宿時代には中山道の中央に市神様とし祀られていた。その後円心寺隣接の八幡神社内に移され、更に明治末期に八幡神社と共に城山稲荷神社境内に移り三社別々に祀られていたが、この度の社殿新築を機にこれを合祀し新社殿内に三神社を祀る事になった。
八坂神社の例大祭は祇園祭り(天王様の祭り)として古くから伝えられてきたが、現在は本庄祇園まつりとして七月十五日に近い土・日曜日に全町参加の市民のお祭りとして盛大に行われている。本町には明和四年(一七六七年)造営の神輿が現在も残されており当時から神輿渡御が行われていた記録が残っている。
施工 (有)石の吉岡 |
神社・お寺情報 |
境内掲示板
本庄城跡
所在地 本庄市本庄三‐五
本庄城は、弘治二年(一五五六)本庄宮内少輔実忠により築城されたといわれている。
本庄氏は、山内上杉氏に属したが、永禄十年(一五六七)に後北条氏に攻められて落城し、後北条氏に服したが、実忠の子隼人正の代に至って天正十八年(一五九〇)豊臣秀吉の関東攻めにより落城した。
徳川家康の関東入国に伴い、信濃国松尾の城主小笠原信嶺が一万石を賜って新城主となったが、慶長十七年(一六一二)その嗣子信之の代に古河城へ移封され、本庄城は廃された。
元禄十三年(一七〇〇)の城跡検地表には三町四反五畝二九歩(約三・四ヘクタール)と記されている。その区域は、現在の本庄簡易裁判所から八坂神社にかけての地域で、北側は元小山川が流れ、南東は久城堀で切断された自然の要害であった。
なお、小笠原信嶺夫妻の墓は、開善寺にあり、本庄城跡は昭和三十三年本庄市指定の文化財となっている。
昭和六十一年三月
境内掲示板
埼玉県指定天然記念物
城山稲荷神社のケヤキ
昭和四十四年三月三十一日指定
このケヤキは目通り六・三メートル、根回り十三・三メートル、枝張りは三十メートル四方に及び、姿態もみごとな樹で、この一本で神社の森をつくっているくらいである。
樹令およそ四百年と推定される、ケヤキは戦時中特別なものを除きほとんど強制的に供出され、このような大木は、県下でも数少ない貴重なものである、弘治二年(一五五六)本庄実忠によって本庄城築城のとき献木されたと伝えられている。
埼玉県教育委員会
本庄市教育委員会 |
例祭日 |
・祈年祭(三月十五日) ・例大祭(四月十二日) ・八坂祭(七月十五日) ・新嘗祭(十一月二十四日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】zx14r
【
最終
更新日時】2025/04/05 12:52:28
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