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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県本庄市寿2-1-21 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線本庄 徒歩17分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0495-22-3267 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
建御名方命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
境内掲示板
第62回伊勢神宮式年遷宮記念
諏訪神社 御由緒
本庄市寿二-一-二
▢御縁起(歴史)
当地は、本庄台地北端に位置する。 本庄は、古くは若泉庄に属しその本荘(本郷) の地であったことから、この地名が起こったという。弘治二年(一五五六)に児玉党庄氏の末裔に当たる本庄宮内少輔実忠が、現在の本庄市北堀字東本庄から館(後の本庄城)を当地内に移した。天正十八年(一五九〇)には新しい城主として徳川家康の家臣小笠原信嶺が配置され、本庄領として一万石を領した。この信嶺は、江戶幕府が中山道を整備する一環として本庄宿の屋敷割りを行い、以後中山道の両側には急速に人々が住み着き、町並みを形成していった。本庄宿は周辺の村々とは異なり「町内」という自治組織に近い寄り合いを作った。諏訪新田も、このころには集落を形成していたという。
当社は、諏訪新田の北西端にある小高い丘の上に鎮座する。すぐ裏手には、「道満窪」と呼ばれる湧水池があったというが、現在は見られない。このことから、新田開発の早い時期に、田畑を潤す湧水池の傍らに耕地の守護神として諏訪神が勧請され、集落が形成されていくなかで、諏訪新田の地名が付けられたものと推測される。
『風土記稿』本庄宿の項には「諏訪社村持」と載る。
明治に入り、社格制定に際して当社は無格社とされた。昭和四十七年には、社殿新築奉賛会が設立され、翌年には本殿外宇・幣殿・拝殿が新築された。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
・祈年祭(四月三日) ・祇園祭(七月十五日に近い土、日曜日) ・例祭(十月十七日) ・新嘗祭(十二月十七日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2025/07/13 09:25:30
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