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基本情報
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住所 |
埼玉県本庄市鵜森248 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR高崎線本庄 徒歩28分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0495-21-2066 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
木花咲耶姫命 |
創建・建立 |
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旧社格 |
旧村社 |
由来 |
境内掲示板
第62回伊勢神宮式年遷宮記念
浅間神社 御由緒
▢縁起
本庄市鵜森二四八
鵜森は、本庄台地の末端部から利根川右岸の低地にかけて位置する農業地域で、その北端は元小山川、南端は女堀川で区切られる。 当社は、集落から離れて田畑の広がる中に鎮座しており、高さ一〇メートルほどの土盛りの上に本殿があるため、遠望すると、あたかも神が一帯を見守っているかのような印象を受ける。なお、鵜森という地名は、かつては当社の杜は今よりもずっと大きく、そこには鵜が生息していたことにちなむものであるといわれている。
当社の創建の年代は不明であるが、口碑に「名主の早野半兵衛が当社と利益寺とを建立した」と伝え、利益寺でも早野半兵衛が天正年間(一五七三~九二)に草創した旨を伝えていることから、口碑に従うならば、当社もそのころ勧請されたものと考えられる。一方『児玉郡誌』は、この地が五十子城砦の要害の地であることから、寛正年間(一四六〇~六六)に上杉管領房顕の奥方の梅沢御前がその守護神として勧請し、社殿を建立した旨を載せており、これに従えば、当社の勧請は口碑に伝えるものよりも一〇〇年以上前のことになる。
また、『風土記稿』に「浅間社 村の鎮守なり、大蔵院持」とあるように、江戶時代には、真言宗系修験の大蔵院が別当であった。神仏分離の後は、当社は明治四年に村社になり、同三十九年に字台の下浅間神社と伊勢神社を合祀したが、大蔵院は明治初年に廃寺になった。 |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
・天手長祭(三月十九日) ・祈年祭(四月三日) ・八坂祭(七月二十五日) ・例祭 (十月十七日) ・新嘗祭(十二月十日) |
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】ムンク
【
最終
更新日時】2025/07/13 05:26:55
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