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★★★★ 参拝日:2022年3月28日 15:30
★★★★ 参拝日:2024年1月24日 13:52
★★★★★ 参拝日:2024年1月7日 20:28
★★★ 参拝日:2023年11月3日 00:00
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住所 | 神奈川県川崎市宮前区平4ー6ー1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 東急田園都市線宮前平 徒歩21分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 044-977-5639 |
FAX番号 | 044-977-5639 |
公式サイトURL | http://www.shira80000.com |
御祭神 | 応神天皇 ( おうじんてんのう ) 神功皇后 ( じんぐうこうごう ) 玉依姫命 ( たまよりひめのみこと ) 伊弉冉命 ( いざなみのみこと ) 事解男命 ( ことさかのおのみこと ) 速玉男命 ( はやたまおのみこと ) 天照皇太神 ( あまてらすすめおおみかみ ) 国常立命 ( くにのとこたちのみこと ) 倉稲魂命 ( うかのみたまのみこと ) 日本武尊 ( やまとたけるのみこと ) 天満大神 ( てんまんおおかみ ) 奥津島姫命 ( おきつしまひめのみこと ) |
創建・建立 | 康平4年(西暦1061年) |
旧社格 | 郷社 |
由来 | 源頼朝が、奥羽二国の征討将軍として遠征の途についたのが康平元年(一〇五八)、平安時代の中頃でした。当時、奥羽二国は全く未開の土地で、殊に兇暴の聞えが高かった地方へ向って行くのですから、これほど危険なことはなく、大きな冒険でした。そこで崇敬の厚かった鎌倉八幡宮の御加護をいただくために「このたび使命を果すことができましたら、鎌倉から奥州へ行く街道十里(四十キロ)ごとに八幡祠一社ずつを造ります」と誓いを立てて、当神社の地がちょうど第一次の里程になっていましたので、山上高く幣帛を捧げて祈願をこめました。 この誠心が神に通じ、無事使命を果して帰ることができましたので、康平四年(一〇六一)に当神社を奏祠したのです。 それからしばらくして戦乱が続いて国内の乱れとともに神社も荒れたままでしたが、源頼朝が鎌倉に幕府を開いてから、祖先の事暦を調べて、建久三年(一一九二)に当神社を再建し、源栄山八幡宮と称されるようになりました。 その頃、稲毛三郎重成が桝杉山に居をかまえてこの土地の領主となり、当神社は稲毛領五十七ケ村の総鎮守となりました。 現在、御社殿にかかっている額面に「稲毛惣社」としるされています。 本殿に鎮座されている御神像は、亨保十二年(一七二七)に奉彫されたものです。 明治六年郷社に列せられ、白幡大明神と称せられ現在に至っております。 なお現在の社殿は昭和四十八年十月に再建されました。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | 例大祭(禰宜舞)9月第3日曜日 |
神紋・寺紋 | 左三つ巴 |
更新情報 | 【
最終
更新者】松 【 最終 更新日時】2022/03/28 20:37:31 |