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★★★ 参拝日:2019年7月28日 10:20
参拝日:2020年6月14日 14:33
★★★★ 参拝日:2020年1月5日 11:18
★★ 参拝日:2018年7月28日 00:00
例大祭、台風の影響でお浜行事中止。 宮司様にもお会い出来ず御朱印拝受ならず。
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住所 | 神奈川県足柄下郡湯河原町福浦129 |
五畿八道 令制国 |
東海道 相模 |
アクセス | JR東海道本線真鶴 徒歩6分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://okuni-konomiya.sakura.ne.jp/ |
御祭神 | 大己貴命 ( おおなむちのみこと ) 素盞鳴命 ( すさのおのみこと ) 天照國照彦天火明櫛甕玉鐃速日尊 ( あまてらすひこあめのほあかりくしみかたまにぎはやひのみこと ) 倭建尊 ( やまとたけるのみこと ) 熊野三所大権現(家都美御子大神、速玉男神、熊野夫須美大神) ( くまのさんしょだいごんげん(けつみのみこおおかみ、はやたまのおのかみ、くまのふすみのおおかみ) ) 金剛蔵王権現 ( こんごうざおうごんげん ) 市杵嶋比賣命 ( いちきしまひめのみこと ) 子守大神 ( こもりのおおかみ ) 天地坐八百萬神 ( あめつちにいますやおよろずのかみ ) |
創建・建立 | |
旧社格 | |
由来 | 遥か太古の昔、大海原の彼方から、龍王、妃、王子の三柱の神々が、荒藺乃崎(現在の真鶴岬)に御船に乗られて御出でになり、当地を開拓されたと伝えられています。その後、文武天皇4年(西暦700)、役行者と共に、当地を訪れた穂積濃美麻呂卿が、師である役行者と共に、陰陽の秘法を以て、金剛蔵王権現、弁才天、子守大明神をお祀りしたのが当神社の創始であり、その折に、当地に「霊妙なる薬湯」を見い出したのが、現在の湯河原温泉の始まりと伝えられています。 時は移ろい、平安の世は、天歴7年(西暦953)、濃美麻呂卿の十代目の孫、穂積俊基卿が、当地海岸の「龍宮の鼻」と称される大岩に、金色に輝く神霊が降臨されたのをお迎えし、初めてやしろを設け、お祀りしたのを創建とします。 その後、当地の豪族、荒井刑部實継公一党の崇敬が篤く、その主君、源義家公、その子孫、源頼朝公、源義経公も篤い信仰を寄せました。時は降り、應仁の大乱も収まりし、南朝・明應10年(西暦1478)、戦乱に明け暮れる都を逃れ、御一門の山田宮を伴われ、楠一族、菊池党、高橋党などの忠臣の警護を受けつつ、当地に尊き御身を寄せられた、後醍醐天皇の玄孫の宮に坐す、小倉宮尊成親王は、時の神官、大和守穂積重勝の娘、安津佐姫を娶られ、祀職となられ、お若きみぎり、吉野は金峯山に於て、修行に励まれていた折のこと、大天狗から法力を授けられた故事にちなみ、穂積天佑と称され、この名が後の代々の宮司の法名とはなり、又、平安京の北方の守護である子之宮の神霊を、当神社に併せ祀られました。 他に、やしろの杜に住まう梟の鳴き声を、「東路(あづまぢ)を 吾(わ)が越へくれば ひなの里 福ぞ来たらむ みつかひの声」との歌に詠まれて、このことを瑞祥とされ、この地を「福ぞ来たらむ里」と名づけられ、それが現在の福浦の地名の由来となった、と云う逸話も残されています。爾来、第五十三代宮司、天佑穂積宜龍に至るまで、連綿と途絶えることなく、その血脈法統は受け継がれ、地元はもとより、広く、日本全国、また海外に至るまでも、多くの人々の信仰を集め、心の拠り所となっています。 |
神社・お寺情報 | 神事•宮司さまの所在についてはHPから予め問い合わせをする必要が有る様です。
私は問い合わせて当日はいらっしゃらないのを承知で参拝させていただきました。 とってもいい神社でした(^。^) |
例祭日 | 1月1日歳旦祭(さいたんさい)[初護摩 (はつごま)]2月節分節分祭(せつぶんさい)[追儺式 (ついなしき)]7月最終土曜・日曜例大祭(れいたいさい)[お浜行事 (おはまぎょうじ)] |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】akari 【 最終 更新日時】2021/04/22 15:11:01 |