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★★★★ 参拝日:2021年7月4日 00:00
参拝日:2021年3月26日 12:10
書いていただきました。
参拝日:2024年4月27日 00:00
参拝日:2024年3月30日 16:00
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 岐阜県海津市海津町油島無番地 |
五畿八道 令制国 |
東山道 美濃 |
アクセス | 養老鉄道多度 徒歩40分 |
御朱印授与時間 | 謹告 授与所対応時間 諸事情により下記の対応とさせていただきます。 ●授与所 平日 午前9時から午後1時まで 土・日・祝 午前9時から午後3時まで 上記時間外は、あらかじめご予約ください ●神門 午後3時以降に適宜閉門 お電話も上記時間内にお願いいたします。 |
電話番号 | 0584-54-5928 |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.chisuijinja.jp |
御祭神 | 平田靭負(ひらたゆきえ) 薩摩義士(さつまぎし) 美濃之義士(みののぎし) |
創建・建立 | |
旧社格 | |
由来 | 昔この地方は木曽三川に囲まれ、木曽川より長良川揖斐川と、それぞれ1米余り川床の差があり低くなっていた。そのため土地の低い美濃側は絶えず水害を被り、徳川時代特に慶長から宝暦にかけては、毎年はん濫して治水工事の嘆願が続き、ついに幕府は宝暦3年西暦1753年12月25日、西国の雄薩摩藩にお手伝い方を命じた。当時借財に苦しんでいた薩摩藩ではあるが、藩の存亡を懸けその命に従うこととなった、総奉行に平田靱負正輔を任じ、年が明けて1月21日江戸より、次いで29日には薩摩より、総勢947名を出発させた。途中大阪で工事費を調達し、2月27日四の手に別れて工事に着手、水との苦闘は難工事の連続、その上度重なる洪水に工事費ははるかに超過し、幕府側の迫害や侮辱、工事の邪魔等に耐えかねて、自決した者53名、疫病の流行で病没33名にも及んだ。総奉行は藩主重年公に工事しゅん工の報告を副奉行に託し、全責任を負って宝暦5年5月25日享年52才でこの世を去った。幕府の命令とは云え300里も離れた異郷の地を、水害の苦しみから救った、薩摩の人達の血と汗と涙の結晶は、今もこの地方に語り継がれ、偉業として称えられる大治水事業であった。この神社はその時なくなられた80余名の方々をお祭りして、感謝の誠をささげ、願望成就の神として嵩敬されている。 |
神社・お寺情報 | |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】ぴよぴよ 【 最終 更新日時】2025/04/18 10:27:58 |