みんなの御朱印
17
神追人さん
2022年10月10日 00:00
24
神追人さん
2020年2月18日 15:56
14
rorexgtrさん
2019年9月10日 16:19
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
1
157
0
100
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
三重県伊勢市倭町 18 |
五畿八道 令制国 |
東海道 伊勢 |
アクセス |
近鉄山田線宇治山田 徒歩7分 |
御朱印授与時間 |
毎月10日の10時前
|
電話番号 |
0596248907 |
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御祭神 |
金刀比羅神社:大物主命、宇迦御魂神、三輪大神、倭姫命 神落萱神社:鵜萱草葺不合尊、草野姫命 |
創建・建立 |
720〜748年 |
旧社格 |
古来より外宮所管社、明治四年村社 |
由来 |
①金刀比羅神社 祭神は主に大物主命。天孫降臨の前出雲地方を治めし神にして、天孫の命を奉じ国土を返上し皇孫の御守護神とな俺し神なり。又、皇孫の海上渡御の時海上風波無美を祈願せしを以て海上安全の神と奉ぜしなりとあります。以前は金毘羅大権現と称したが明治元年3月12日社仏混淆を禁じられ社号改め金刀比羅神社と改られた。当時、常明寺境内を二分し一方を神社地。他方を寺地としたが明治二年常明寺が廃寺となり、神社地だけが残された。又旧記によると金毘羅大権現と称し常明寺の鎮守なりしとあり御請年月不詳なれど該寺は天平年間(720〜748)の開基にして僧徒大神宮へ読経法要の砌神垣の内を憚りてこの寺に参籠法要せしとあります。故に当社は千数百年前の創建と思われます。且慶長元年(1592)一代の僧この金毘羅大権現再建又、文化五年(1808)常明寺住職の願を受け大工棟梁向井仁左衛門等により建て替えられました。古記によると以前は小さな社祠でしたがこの時間口二間奥行き二間半程度の社殿になったものと思われます。明治十一年(1878)町民の総意により、境内、建物、御神体等を、当時の所有者より買請けまして、倭町の氏神様としました。その後明治四十二年三月神社統合令により、箕曲中松原神社に統合合祀されました。昭和二十二年十二月十日。箕曲中松原神社より分祀返却され、神落萱神社、稲荷社、三輪社、尾上社等を合祀し現在に至っております。平成七年造営委員長西島一郎以下別記の諸氏にて本殿、拝殿等新築造営されました。本殿内に奉安されている神殿は文化五年本殿建て替えの時新たに造営されたものと思われます。 ②神落萱神社(子授けの神) 祭神は神落萱神。古書によれば此の神殿一殿にして扉二口なりとあれば二神合祀の証かと思われる。此の神、多産にして其の子十指に余るといわれ、故に子授けの神と崇め祀り、子孫繁栄を祈りたるものと言われる。神社明細帳に「此の社は類聚神祇本源に所載、長徳三年(997)倹録外宮田社三十三前の中に、神落萱社尾上寺前と註される社にて(尾上寺とは尾上山常明寺の事)年久しく廃絶したりし」と有るにより、当社はそれ以前に創建されたものと思われる。正保二年(1432)外宮袮宣、檜垣常晨が再興し常明寺境内本堂の南西の地に、東向きに鎮座ありしを、明治二年、境内北西の地に、南向きにと改称し、此の社を以て産土神となす。古来祭日は正月八日神事始めと称し、外宮袮宣、権袮宣並家司参勤し、神楽役人鼓吹の曲を奏す。十一月十五日没、夜参と称し、神楽役人参勤。又、十二月十日茅萱祭と称し、袮宣及び神楽役人参勤し、茅の輪の前にて、八王子祭文となえたり。常明寺神事作法と題する旧記十二月十日神事の条に「茅の輪の前にて八王子祭文あり」と載せ。又、常明寺別当職年中行事、同日神事の条にも「神落萱社前にて八王子祭文あり」と載せたれば、往古、尾上の地に居住の人、此の社を産土神とし、又、除疫の祈りに、例の八王子祭文おも、此の社にて行はれたるものと思われる。外宮袮宣補佐次第に「天暦年中の一袮宣康平、一子永延年中の袮宣彦晴又その子長保年中の袮宣貞雄等父子三代を尾上の長と注せし」と有るに拠て考えれば、是れ等氏人が、祖神を、居住地に祭りて、氏神と崇め祀りしものと思われる。荒木田神主、度会神主等の氏人居住の地に祖神を祀り是を神宮所管の社とせし類例多し。現在、隠岡遺跡公園にある居住跡は、外宮袮宣康平等、尾上の長の住居跡といわれている。正月八日祭事の事は常明寺別当職年中行事同日の神事の条には次のように記載あり。「是の祭異例なり外宮末社たる故、度会神主、袮宣役人勤之、当日長官方より鯔二喉を送り又男女陰形の餅を蒔くなり世俗子なきもの之を拾い男子女子を得るの印とす。行事終りて住僧本堂に出て読経せり、終始神人は応対に及ばず暫時対座するのみにて又神楽あり」と載せてある。上記により当神社は古来より子授けの神として信仰厚く一月八日の大祭には、町内はもとより県内外からも大勢の参拝者がある。大祭には男女の陰形を模した餅を供え、子授けの祈祷をす、午後には此の餅を撒き、氏子等、競って此れを拾う。(現在は神落萱神社の祭礼は一月八日のみを大祭として行って居ります) ※金刀比羅神社、神落萱神社のしおりより。 |
神社・お寺情報 |
御朱印をお求めの場合は毎月10日の十時半から行われる月次祭に合わせて来ると、書いて頂けるそうです。普段は当番さんがくるものの不在の事がほとんどだとの事です。 |
例祭日 |
毎月10日10日半から月次祭。
金刀比羅神社
八月十日 大祭
神落萱神社
一月八日十時子授け祈祷。十五時から餅まき
|
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】神追人
【
最終
更新日時】2022/09/26 21:30:14
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。