みんなの御朱印
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
0
204
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
埼玉県さいたま市北区日進町2-1003 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
JR川越線日進 徒歩7分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0486636503 |
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御本尊 |
|
宗派 |
真言宗智山派 |
創建・建立 |
|
由来 |
境内碑
本堂再建立落慶記念碑
足立坂東第一番御詠歌
ふだらくや 願いもかのう 満んぷくじ
いつも絶えせぬ のり(法)のともしび
平成二十四年四月二十九日建之
楽邦山満福寺 第三十八世住職秀夫代
施工主 株式会社石のたちいり
楽邦山満福寺略縁起
当山は真言宗智山派に属し、聖天院楽邦山と号している。
御本尊は阿弥陀如来坐像。
当山の由緒は不詳ですが、当院の過去帳の記録に依ると、鎌倉時代弘安五年(一二八二年)三月、道教方親玄より法流相続せる興雲尊者を以って開基の祖となす。その後徳川時代に至り、一代将軍家康公より御朱印十石を賜り代々寄進を受ける。寛永十八年(一六三一年)一山炎焼し、宝物一切を焼失したが、貞享二年(一六八五年)第二十世宥悦上人御朱印の復帰を出願され五石を賜る。その後、宝永五年(一七〇八年)第二十三世信栄上人を住し、一山を再興し中興の祖となる。
安政三年(一八五六年)八月二十五日、大暴風の為本堂客殿崩潰するも、檀信徒の寄進を賜り、第三十二世山学上人に依り復興する。明治維新の砌り、足立坂東第一番の札所大宮氷川神社の別当観音寺を移し、其の本尊聖観音像を脇本尊とする。
大正八年第三十七世秀浄和尚住し、布教に努め檀家の徳望厚く、寺運の興隆を図り檀林繁栄す。昭和四十四年秀浄大僧正入寂され、法資秀夫和尚法灯を継ぐ。昭和五十七年檀家寄進に依る客殿落慶に当り、御先祖並びに戦没者追善大法要を奉修し、翌五十八年庫裡改築する。
平成に入り、本堂の老朽化により、破損が多く危険度が大であり、本堂再建立を発願する。平成十七年総代・世話人会ご賛同を得、寺檀一丸となり平成二十二年(二〇一〇年)十二月、木匠岩下棟梁の下、新本堂が完成する。翌平成二十三年、客殿・水屋の新築、境内地整備等の一大事業が成満し、平成二十四年(二〇一二年)四月二十九日、開山八百年記念事業本堂再建立落慶法要を厳修する。
史跡
内藤塚
(戦国時代の武将、内藤忠清二百五十回忌の一八六二年に子孫の忠篤、忠道が塚と石碑を建立されたもの)
天然記念物
比翼檜葉(ヒヨクヒバ)一株 さいたま市指定
白樫(シラカシ) 一株 さいたま市指定
寺宝
寛永年間消失し、目録も不明
新編武藏風土記稿
足立郡上加村
滿福寺 新義眞言宗山城國醍醐無量壽院ノ末 樂邦山正覺寺ト號ス 永仁六年僧興雲草創スト云 興雲ハ正和元年五月廿八日寂ス 當寺元十石ノ御朱印ナリシカ寶永十八年丙丁ノ災ニ罹リテ御朱印ヲ燒シヨリ半ヲ減セラレテ五石ノ御朱印ヲ賜ヘリ 本尊ハ彌陀ヲ安ス
鐘樓 延寶三年ノ鐘ナリ 不動堂 淸龍權現社 |
神社・お寺情報 |
|
例祭日 |
|
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/10/26 19:37:05
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。