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基本情報
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| 住所 |
大阪府大阪市此花区伝法2−10−18 |
五畿八道 令制国 |
畿内 摂津 |
| アクセス |
市バス四貫大通2丁目下車北100m 阪神電車西大阪線伝法駅下車南東100m、阪神電車西大阪線千鳥橋駅下車北西100m |
| 御朱印授与時間 |
|
| 電話番号 |
06−6461−3592 |
| FAX番号 |
06−6461−3593 |
| 公式サイトURL |
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| 御祭神 |
天照皇大神、住吉大神、蛭子大神 |
| 創建・建立 |
鎌時代前期(二三ー五年) |
| 旧社格 |
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| 由来 |
由緒 鎌時代前期(二三ー五年)人皇八十四代順徳天皇建保二年三月十七日傳母(デンポウ)村開拓の始め村と港、全国の隆盛繁栄を祈願し建保三年四月二十五日傳母頭(モリス)宮殿を建立し宮殿に皇祖天照皇大神、住吉大神、蛭子大神(恵美須大神)を奉祭し敬神行事を厳粛にせり。 文禄元年二月十九日太閤豊臣秀古公は日本海彼地渡航に際し、重要港を傳母村川口の港と定められ、出征の時に際して傳母頭宮殿奉仕の源氏神主田中八太夫に令し海路の平穏渡航安全長久及他祈願をなさしめたり。 亦最も奇しき事には、神主隅々夢中神の御告には、社頭の森中より三足の八咫島が出現し全船に驚かせしめ、海路の方向を示し、且つ守護なさんと神主深く感佩して、翌朝秀吉公に謁を請い恭しく之を言上し公は殊の外満足せられ、即刻神主八太夫をして此渡航に於ける水先奉行とした。 神主謹て大命を拝し、直に斎戒沐浴烏帽子直垂を着し、一方の赤誠を以って神前にて祝詞を奏し、同月二十日巳の上刻全船纜を解き傳母村川口の港を出帆したが、果せるや千里の鵬程風静かに波平かなり、神夢の如く三足の八咫烏は船団の前後に押して飛去らず。守護の任を全うしたかくて満願叶い文禄二年正月十六日未の下刻に全船帰航した。 翌十七日午の刻秀吉公は博母頭宮殿に参拝し、自から祭主となり帰航の報告祭典を執行せられた。此の時に傳母頭宮殿を改め鴉宮と称え、神領を入津料とし、碇泊船より納米させる権利を得て宮殿の位置を現在の東隅に当る、森林鬱蒼たる鴉の巣を成したる所を選定して、遷宮をなし奉り、茲に於て三柱の大神等を木像に彫刻された。此の御祭神の中に住吉大神は渡航に際して、殊に海上の御加護奇しかりしを記念として、御木像の左手に杖を携え、其の上に一羽の八咫烏を止まらせた彫刻せられたのは、他に其の類例を見ない。 鴉宮を改称したのは、三足の八咫烏に因みしものである。これらは秀吉公による寄進と伝う。名誉と経済的利益の両面で報いた苦労人秀吉ならではの逸話といえる。 慶長十九年十二月徳川将軍令にて水先奉行の入津料を献上後大坂船素行と改称する。 鴉宮荘園地は東百舌島土師新田大野芝にあり。御旅所兼務社と新田開発地含む数十社あり。 大規模な神輿渡御祭あり現在中断状態。傳母を傳法と改称理由文禄三年五月伏見城と天王寺太子堂普請時傳母船問屋船頭三十六人法規遵守の効にて母を削り法と改める。 往古八十島祭木簡人形の禊と潮汲神事あり。社号 宮号 社格 元官幣大社。 官幣大社新規準により明治五年村社次に官幣中社昇格、次に大社復活説あり。 |
| 神社・お寺情報 |
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| 例祭日 |
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| 神紋・寺紋 |
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| 更新情報 |
【
最終
更新者】ととるし
【
最終
更新日時】2026/01/23 22:34:58
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