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thonglor17さん
2024年3月9日 10:12
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基本情報
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住所 |
埼玉県狭山市大字下奥富844 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
西武新宿線狭山市 徒歩6分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0429525011 |
FAX番号 |
0429525037 |
公式サイトURL |
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御本尊 |
薬師如来 |
宗派 |
天台宗 |
創建・建立 |
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由来 |
武蔵十三佛霊場専用御朱印による説明
廣福寺の沿革
廣福寺は、徳川三代将軍家光公御鷹狩の休息所に指定され、当寺西の方に御茶屋、東の方に御鷹部屋が建てられ、十年以上にわたって家光公が御成になられたことが、当寺所有の古文書に記されている。
本堂前の紅梅は、家光公より賞賛の御詞を賜り、この梅おろそかに致すべ からず旨御上意あって、[御詞之梅] と命名され、その側の井戸は家光公が御茶を召し上がられた故に[梅之井] と申し伝えられている。梅はその子孫が春ごとに花を咲かせ、井戸はそのまま現在まで保存されている。往時の人々は廣福寺を御茶屋寺と呼んでいた。
当寺の鐘楼門は、数少ない竜宮造りの建築様式で、廣福寺に逗留していた中国人画家除雨亭と深い関係があると考えられている。
新編武藏風土記稿
入間郡下奧富村
廣福寺 天臺宗仙波中院末 藥王山地藏院ト號ス 開山尊榮永祿十一年當寺ヲ草創シテ 天正十二年七月十一日寂セリ 其後元和九年十一月七日大猷院殿川越御放鷹ノ時當寺ヘ渡ラセ給ヒシヨリ以來 此邊御遊歷ノ時ハ渡御アリシヲ定例トシ給ヒシユヘ 寬永元年十一月十五日同二年二月十一日同三年二月八日同四年二月十三日同七年二月十五日ノ六度マテニ及ヒシトナリ 其比ノ御休足ノ間ヲ賜ハルニヨリ客殿ニ用ユヘキ旨命ヲ蒙ルノ由 領主松平伊豆守信綱ヨリ傳ヘシカハ則此ヲ客殿ニ用ヒシカト 後回祿ニ逢テ烏有トナリシト云 本尊ハ藥師ヲ安ス
樓門 樓上ニ安永三年九月鑄成ノ鐘ヲカケリ 梅樹 門ヲ入テ右ニアリ 昔大猷院殿御遊歷ノ時折シモ此花盛ナリシカハ其ノ花色ヲ賞翫アリシニヨリ今ニ御詞ノ梅ト稱シテ敬畏シ 埒ヲユヒ廻ラシテ人ヲシテ近クコトヲ得サラシム 此梅イト老テ枯盡シ今ハ蘗ヨリ枝葉出タリ 天神稻荷合社 |
神社・お寺情報 |
関東九十一薬師・第32番札所
関東百八地蔵・第9番札所
武蔵国十三仏・第3番札所(文殊菩薩)
境内掲示板
広福寺山門
市指定文化財建造物
所在地 狭山市下奥富八四四広福寺
指定年月日 昭和四十八年三月一日
広福寺山門は、広福寺所蔵の古記録によると、文化二年(一八〇五)に完成したと考えられます。
山門と鐘楼が一体化した構造の鐘楼門で、袴腰は漆喰白壁塗り、上層部は格天井の鐘楼で勾欄(手すり)をめぐらし、屋根は入母屋造りの瓦葺きという總ケヤキ材の珍しい竜宮造りの建築様式です。
この山門をくぐった本堂の前には紅梅がありますが、徳川三代将軍家光が鷹狩りの際の休息の折に、その美しさを賞賛したことから「御詞之梅」と言われ、梅のそばにある井戸も、その水で家光にお茶を入れたことから「梅之井」と言われたと伝えられています。
また、幕末には尊王攘夷に身を捧げた、清河八郎をはじめ、中村貞太郎(北有馬太郎)や、西川練造等、多くの勤皇の志士達がこの山門をくぐったと言われています。 平成二十五年三月
狭山市教育委員会
狭山市文化財保護審議会
境内碑
千如院権僧正頌碑
皇邦一基比叡山直末當埼玉縣武州秩父子山雲洞院天龍寺第四十五世主権僧正櫛笥亮𡶶師嘉永五年壬子十一月廾八日生誕本州入間郡南畑村水邨家之産也八歳發心入于東叡山勸學寮為比叡山正藏院僧正根本亮繼之徒弟其翌萬延元秊二月受順性院僧正之得度後勤四度之行法習專門學至明治元年五月是月以來六年間於本郡古谷灌頂院修普通學於北足立郡川田谷泉福寺講專門學而爲同東光寺住職試補時年廾一轉于千葉縣永治泉倉寺住職十二秊至傳▢大阿闍梨廾一年三月移任入間郡奧富村廣福寺廾八年六月比叡山廣學竪義遂業并登戒檀院受大戒卅三年以中僧都榮任川越町中院貫董卅四秊四月被補僧都卅五年仝補権大僧都卅六年仝補大僧都卅七年三月末補權僧正尋而告老稱千如院靜在廣福別院偶會當大鱗山式微四十一秊十一月廾五日容部聘領管錠再起爰𦲷斯聖𡶶浄台貫主焉爾降十二▢秋回旧旋新臺觀潤养衆庶弘信之盛蓋明大昭世下之中興也抑師之於靈畛道場到處有此概矣夫泉倉廣福中院諸閣然而成輪煥師性堅直▢▢▢整輓近覺畢恙今茲齢六十九仍爾後命簡諉於是別齋在所常縁有信之▢▢▢▢▢▢▢師立碑以頌德行 群雀集恵孤鳳随仙 三寶最勝田恩逓▢ 生來須彌▢▢▢▢
師詠 月も日〇晴て〇〇しく観る郷は心の〇め〇巷〇〇〇〇
大正九年冬 師門小子廣福寺現菫權大僧都櫛笥亮寶撰并書
川越町 秋葉伊三郎刻 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/03/10 20:55:20
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