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★★★★★ 参拝日:2020年6月14日 11:00
★★★★★ 参拝日:2020年2月17日 00:00
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住所 | 兵庫県養父市八鹿町石原1755-6 |
五畿八道 令制国 |
山陰道 但馬 |
アクセス | |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 079-662-2793(名草神社) |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6324001.html |
御祭神 | 天御中主神 高御産霊神 神御産霊神 五十猛神 大屋津姫神 柧津姫神 |
創建・建立 | 585年 |
旧社格 | 県社 |
由来 | 敏達天皇14年(585)5月(4月?)に紀伊国名草郡出身の養父郡司、高野直夫幡彦が、当時流行した悪病に苦しむ民を憐れみ、故郷の祖神である名草彦神などを祀ったのを創建とする。 平安末期から、星の神、北辰とされる「天御中主神」を祀り、神仏習合の色をもつようになった。さらに中世、真言宗帝釈寺との関係を深め、点検的な両部神道の神社として発展。加持祈祷の技術により各地の公家や武将に篤く崇敬された。 明治維新後の神仏分離令により、明治2年「名草神社」としたが、寺僧との係争が続いた。同9年、帝釈寺は廃寺、同13年本社の東南6Kmの成就院に、帝釈寺は合併(現日光院)して一応の決着をみたが、社要記録や宝物は散逸し、明治6年10月の社格制定に際しても、紛糾時ゆえに村社にしか列せられなかった。その後、大正11年12月県社に昇格した。 |
神社・お寺情報 | 三重塔について 室町時代の大永7年(1527年)に出雲国主尼子経久の願いにより杵築大社(出雲大社)の境内にて建立された塔婆であることから「杵築の塔」とも呼ばれる。 江戸時代寛文年間に行われた出雲大社本殿造営に際して当社の神木妙見杉を部材に提供した御礼として、出雲大社から譲られたという由緒があり、当社へは寛文5年(1665年)3月に移建された。 ウィキペディアより抜粋 |
例祭日 | 7月18日 |
神紋・寺紋 | 未登録 |
更新情報 | 【
最終
更新者】はにほへと 【 最終 更新日時】2022/06/25 08:53:19 |