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基本情報
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住所 |
和歌山県和歌山市和歌浦西2丁目1番24号 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
アクセス |
JR紀勢本線紀三井寺 徒歩27分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
073-444-4769 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御祭神 |
菅原道真公 |
創建・建立 |
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旧社格 |
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由来 |
天満宮の御祭神菅原道真公は碩学の士として知られている。延喜元(901)年左大臣藤原時平の讒言により筑前太宰権師に左遷された。赴任の時、海上の風波を避けるため、この和歌浦の地に船を停泊した。地元の漁民はこれを迎え、網を巻いて円座を作り菅公はここに休まれた。やがて、風波が静まり再び任地に向かわれる時、〝老を積む身は浮船に誘はれて遠ざかり行く和歌の浦波 見ざりつる古へまでも悔しきは和歌吹上の浦の曙〟と詠まれたのである。その後、村上天皇の康保年間(964〜968)参議橘直幹が太宰府より帰京の途中和歌浦に船を停めて、菅公を追慕し、この地に神殿を建立し菅公の神霊を勧請し祀ったのが当天満宮の始まりである。藤原公任卿の詠歌に〝和歌の浦の天満宮や日の本の名だる一つとぞきく〟とあるように当社は古来太宰府天満宮、北野天満宮とともに日本の三菅廟といわれている。古くより朝野の崇敬があって、寛治4(1090)年には、白河上皇が熊野行幸の際、当天満宮に詣で菊花紋章の御幕を奉納している。天正13(1585)年には、兵乱に遭遇し、社殿を焼失した。そのため一時荒廃したこともあったが、紀州歴代藩主の深い信仰と庇護によって再び社を整備することが出来た。現在の社殿は慶長9(1604)年紀州藩主浅野幸長公によって再建に着手され、慶長11(1606)年11月に竣工したものである。元和5(1619)年浅野家に代り、徳川頼宣公が紀伊守に任ぜられ、東照宮の社地を当社の境内に求めるに当り、当社を和歌浦の地主神と定めて篤く崇敬し、寛文4(1664)年に神田を加増し、25石を寄附された。江戸時代を通じて社家安田能登守が天満宮、東照宮両社官として明治維新まで奉仕した。―社蔵『関南天満宮伝記』による―主なる年中行事筆始祭(1月2日)、初天神祭(1月25日)、節分祭(2月3日)年越大祓厄除祭、天神祭(7月24日25日)、筆供養祭(9月第3日曜日)、仲秋管絃祭(十五夜) |
神社・お寺情報 |
江戸時代の朱子学者で、徳川家康のブレーンも務めた林羅山は、元和7年(1621年)、この地を訪れ、和歌浦天満宮は太宰府天満宮、北野天満宮と共に由緒がある神社であると言っている。 |
例祭日 |
3月25日、夏祭7月24日・25日 |
神紋・寺紋 |
梅
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更新情報 |
【
最終
更新者】重複表現を修正しました。
【
最終
更新日時】2024/08/25 21:10:28
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