みんなの御朱印
自分の御朱印
まだ御朱印が登録されていません
みんなの参拝記録
1
307
自分の参拝記録
まだ参拝記録が登録されていません
みんなの動画
自分の動画
まだ動画が登録されていません
基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 |
和歌山県東牟婁郡串本町大島73番地の2 |
五畿八道 令制国 |
南海道 紀伊 |
アクセス |
JR紀勢本線串本 徒歩27分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0735-65-0023 |
FAX番号 |
|
公式サイトURL |
|
御祭神 |
(主祭神)誉田別命 (配祀神)市杵島姫命 事代主命 木花開即姫命 |
創建・建立 |
|
旧社格 |
村社 |
由来 |
社伝に神功皇后三韓を伐ちて御凱陣の御帰途、都で忍熊王の謀反をおこしていることを知り難を南海に避けて漂うたすえに当地の旧名大水門浦に御着なられたが、皇后の御一行は皇子(応神天皇)を守護するため現在の通夜島(別名宮山または御供木山という)に仮宮されたという。 江戸時代は若宮といい大島の産土神として崇敬された。明治初年社名を若宮神社とした。明治六年四月村社となる。同四十四年三月一村一社の神社合祀で村内の神社(北地の八幡神社・蛭子神社)を合祀した。大正三年二月神饌幣帛料供進社と会計法適用社に指定された。同四年十一月社名を水門神社と改称した。(例祭)紀伊半島最南端、串本町の離島大島の当社の例祭は、「水門祭」と呼ばれ県文化財の指定を受けていて、海に陸に華麗にくりひろげられる祭典で二月十一日が例祭日である。祭典の斎行は、二月一日神前で行われる神くじによる「諸役のくじ引き」から始まるがそれより前に大同会(青年会)では一月十五日から獅子舞の稽古を始め、二十五日には櫂伝馬の宿が決まり、伝馬への乗組員二チームも編成され、競漕の練習が寒風の中水しぶきをあげ毎夜続けられる。二月一日は、当番組一同が当屋、当船など祭事にかかわる十三ヶ所に笹竹を立て、しめ縄張りをし、当船の点検等、祭典準備に入る。五日は酒造り、九日は餅つきなどと諸準備が進められ、宵宮の十日には幟立て、神幸巡路の榊立て、浜へは櫓を組み小さい山を形どったお山を作り、諸準備万端完了したことを報告のあと当番組の三名が火を燃やしながらの宮篭りに入る。 十一日の本宮には午前九時より神前にて例祭式が斎行される。十時三十分より二火との弓頭が一人六矢、合わせて十二矢、的に向かって奉射するお的式が行われる。続いて、氏子に酒肴をふるまう大座の儀が古式にのっとり進められる。大座の儀式がおわると神幸の儀に移る。潮打の先導で神官、祭主、氏子総代、当番役員、弓頭、唐櫃をかついだ白丁、その後に獅子屋台が笛太鼓にはやされて勇ましく練り進み浜へと向う。浜では美々しく飾られた当船に乗り込み、歓呼に送られ五丁櫓の音も勇ましく苗我島への船渡御に出る。五人の櫓方の漕ぐ当船の左右には鳳、隼、二隻の櫂伝馬が並んで大島湾入り口まで見送る。当船の渡御を見送った鳳、隼の櫂伝馬は湾内をゆっくり漕ぎ進みながら船から岸に向って餅を投げ浜にはドッと歓声がわく。午後一時より鳳、隼、二隻の櫂伝馬が大島串本間三・八㎞を勇壮に漕ぎ競う櫂伝馬競漕が行われ、力漕する上半身裸の若者と見物衆の熱気で浜は祭礼一色に溢れる。櫂伝馬レースがおわるとつるの儀式が始まる。宵宮にたてられたおヤマ(山を形どったもの)のまわりを身を浄め、化粧をし衣装をつけた以士子、上蟖、包持、弓持・連雀、商人たちの行列が見物衆と豊漁を祈念するやりとりを面白くしながら、ゆっくり三回まわる。そのうち当船が苗我島より帰港してくる。当船が岸に着くとお山は倒され、お山に飾られていた鏡の争奪が始まる。壮絶な鏡とりがすむと若衆達は屋台練りへと移る。櫂伝馬で勝った方が屋台の西側、負けた方が東側を担ぎ、双方ここでも力を出し合って掛け声と共に押し合い練り進む。屋台が最終地点に入り夕刻からは社務所で獅子舞の奉納があり、祭典の幕を閉じるが獅子はこのあと区長宅、当番組長宅などで寝獅子の舞いを演じ、翌日は神屋敷、区、漁協、当船、新築の家々にて舞を奉納する。 |
神社・お寺情報 |
|
例祭日 |
2月11日 |
神紋・寺紋 |
未登録
|
更新情報 |
【
最終
更新者】天地悠久
【
最終
更新日時】2021/11/14 19:12:02
|
※神社やお寺など日本文化の専門企業が算出している日本唯一のオリジナルデータですので、ご利用になりたい法人様やマスコミの方々は
こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社・お寺
近くのお城
神社・お寺検索
※は必須です
※「神社・お寺両方」を選ぶと、一度に全て検索ができ大変便利です。プレミアム会員限定の機能となります。登録は
こちら。