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参拝日:2024年9月7日 15:45
★★★★★ 参拝日:2023年5月6日 14:02
参拝日:2023年2月23日 15:00
参拝日:2022年10月30日 10:51
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 埼玉県深谷市横瀬1360 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | JR高崎線岡部 徒歩46分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0485872145 |
FAX番号 | 0485874188 |
公式サイトURL | http://www9.plala.or.jp/kezouji/ |
御本尊 | 大日如来 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
創建・建立 | 建久五年(1194) |
由来 | 華蔵寺は真言宗豊山派の古刹で建久五年(西暦一一九四年)新田義重公の三男新田義兼公 (新田家第二代) の開基 弘道上人の開山と言われています。 南北朝時代に祐遍和尚が中興し新田家代々武長久祈願の道場として知られています。
新編武藏風土記稿 榛澤郡橫瀨村 華藏寺 新義眞言宗上野國新田郡世良田村總持寺末 心王山自心院ト號ス 大日堂棟札ニ據ハ古ハ大乘院ト號セシ歟 本尊大日 當寺ハ建久五年ノ起立ニシテ開基ハ新田藏人大夫義兼ナリ ソノ位牌本尊ノ傍ニ安シ華藏寺殿本源大禪定門ト刻ス 此人ハ新田上西入道義重ノ長子ニテ新田寺尾城ニ在テ僧弘道ヲ開山トナシ當寺ヲ起立スト云 弘道ハ建保三年十月十三日寂ス 中興僧祐遍曆應三年二月十五日化ス 天正ノ棟札ニ開山ト記ストキハ實ハ祐遍ニ剏リシニヤ 大日堂 此堂新田義兼ノ建立トモ又橫瀨駿河守先祖ノ建立トモ云ヘト 慥ナル傳ヘハナシ 按ニ堂內ニアル天正十一年癸未二月九日ノ棟札ニ東山道上野國新田庄勢田郡橫瀨鄕心王山橫瀨村大乘院當時開山祐遍法師大檀那由良信濃守國繁云々トアリ 由良國繁墓 大日堂ノ背後ニアリ 中興建立セシモノニテ實ノ葬地ニハアラス 文字ナキ五輪ノ塔ナリ 國繁ハ則大日堂棟札ニミエシ由良信濃守ニテ新田義宗ノ孫子六郞貞氏九代ノ孫ナリ 世々新田金田城ニ住セシカ天正中ニ北條氏政ト戰ヒ防戰ニ堪スシテ和ヲコヒ城ヲ燒捨テ同國山田郡園田庄桐生城ヘ移ル 是天正十四年ナリ 十八年庚寅北條滅亡ノ時豐臣氏ノ指揮トシテ常州牛久ヘ移リ彼ノ地ニテ卒セリ 鐘樓 貞享五年造レル鐘ヲカク 配布書記載 華蔵寺縁起 (由来) 当山は鎌倉時代の初期、建久5年(1194年)新田氏の祖・新田義重公の嫡男、新田藏人大夫義兼公(新田氏第2代)によって開創された古刹である。義兼公は新田家の武運長久の祈願所として、高僧弘道上人を招いて開山とした。 爾来繁栄を見たが、南北朝時代に一時衰退、第11世祐遍が再興した。開創以来820年,38世によって法灯を守っている。 本尊は金剛界大日如来、真言宗豊山派に属し、総本山は奈良の長谷寺である。 関東八十八カ所霊場第87番札所、彩の国武州路十二支守り本尊霊場未年の寺に所属。 境内碑 篤敬三寶 心王山華蔵寺本堂営繕記念碑 日本学士院会員正三位勲一等工学博士澁澤元治題額 當山は心王山華蔵寺と称し真言宗豊山派に所属す建久五年源義重三男新田蔵人太夫義包公が武運長久の祈願所として建立せられたる霊刹にして始祖を弘道上人と云う金剛界大日如来を本尊とし又義包公守護の胎蔵界大日如来を大日堂に奉安す往昔この地は上州新田の庄勢多郡に属し利根川烏川の横流甚しき為地形の変遷も又多く元禄時代當寺裏手は烏川の本流なりしと傳う故に屢水害の厄に罹り旧記を失いたるものの如く本堂修繕に関する記録詳ならざれども世移り年変りて伽藍荒廃せしかば大正八年卅六世隆弘代に檀徒相謀り大修繕を施したり然るに萱葺の為其後三十余年にして早くも破損甚しく修繕の要に迫られしかば昭和廿八年二月檀徒總会を開催し熟議の結果将来永く営繕の煩なからん事を希い銅板葺小屋組替を決議せり而して資金の調達は祖先の遺澤なる墓地立木の賣却金及び檀徒の浄財喜捨に俟つことゝす爾来檀徒一同の絶大なる協力により同廿九年三月起工同年十一月竣工す仍て茲に本事業の経緯及び當寺の由緒を略記し後世に傳えんとするものなり 昭和廿九年十一月 當山第三十七世菅間利政撰并書 |
神社・お寺情報 | 関東八十八箇所・第87番札所
武州路十二支・第8番札所(未) 華蔵寺の文化財 埼玉県指定有形文化財 木造大日如来坐像 一躯 平成二十九年三月二十四日指定 座高九十三・八センチ 檜材の寄木造り 平安時代末 (十二世紀後半)の作と考えられる胎蔵界大日如来像です。膝裏に永禄元年(西暦一五五八年) 修理の銘があります。 北関東有数の定朝様式の仏像と評価されています。 深谷市指定有形文化財(建造物) 大日堂 一棟 昭和四十八年十一月三日指定 木造平屋 間口奧行とも四間 屋根は方形造瓦葺 文化七年(西暦一八一〇年)に書き写したという棟札があり、これには天正十一年(西暦一五八三年)の文字が見えます。 深谷市指定有形文化財(絵画) 金井烏洲筆屏風 六曲一双 昭和四十八年十一月三日指定 水墨楼閣山水図 縦一七六センチ 横三六四センチ 天保七年(西暦一八三六年) 烏洲四十一歳のときの作品です。 深谷市指定有形文化財(彫刻) 円空仏 一躯 平成十一年十一月一日指定 総高四十一・五センチ 像高三十二・九センチ 元禄時代の作 来迎印を結んで蓮台に直立している阿弥陀如来立像です。 関東の円空仏の中でも最も円空らしい像と言われています。 華蔵寺開創八百年記念事業之碑 碑文 この堂宇は阿弥陀堂と称し北側に堂守の住居を付属した建物であったが昭和初期に付属分を取りこわし修繕して保存した 大正十二年春横瀬字本畑通称前新田地內所在廃寺福應寺本堂及び不動堂を処分した際本尊毘沙門天と不動明王像が当寺に寄託され以来仮安置のまま歳月を経過し現在に至った このたび当山開創八百年にあたり記念事業について檀徒に諮り賛同を得て諸堂の整備を企画したが特に阿弥陀堂を増改築して福應寺の両尊を奉安した 古来毘沙門天は世を護り国を護る本誓あれば護世天また護国天ともいい佛法守護と施福の神として尊崇されたよって改築にあたり主尊となし郷土の平安と寺門の興隆檀徒諸家の繁栄及び有縁の信者に施福の加護あらんことを祈念するものである なお毘沙門天像はききに台座がくずれて損傷し大修繕を施した その他十王堂屋根銅板葺替薬師堂屋根瓦葺替を行いまた手洗所を新設本堂前参道山門下敷石を改修した 赤城山多門院福應寺 暦應二己卯年創建 西曆一三三九年 開基 桃井播磨守直常 開山 朝惠僧都 付 明治六年八月橫瀨小学校開校につき本堂を使用した 平成三年九月吉日 華蔵寺第三十七世管間利政撰書 渋沢栄一の父、渋沢市郎右衛門(晩香院藍田青於居士)の墓所が在る。 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2024/07/21 19:59:03 |