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基本情報
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住所 |
埼玉県川越市上戸194 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武東上本線霞ヶ関 徒歩10分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0492311016 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
時宗 |
創建・建立 |
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由来 |
境内碑
本堂新築記念碑
當山は元、中世の豪族「河越氏氏」の持仏堂を起因とする密教寺院「浄興密寺」と伝えらる。
嘉元三(一三〇五)年、時宗三祖中聖智得上人この地を巡錫の砌、時宗に改宗、河越山 三芳野院常楽寺となり以来七百年、別名三芳野道場とも呼ばれ、念仏弘通の法灯を今日に伝える。
この度、開山七百年記念事業として本堂新築が計画され、檀信徒一同及び有縁の方々の物心両面にわたる助力を得成就したので、建設委員会は記念碑を建立しその労と苦を讃え永く後世に伝えることとした。
平成十七年十二月吉日
河越山三芳野院常楽寺三十四世 円阿弥陀佛 知行合掌
境内碑
重頼公等三供養塔建立之碑
河越氏の創建せる持仏堂が嘉元三年時宗常楽寺に改称されて七百年を迎えた平成十七年 記念事業として本堂が新築されたが 某甲等この地を拓いた河越氏の遺徳を偲び その事績を後世に語り継ぐよすがにせんと欲し 河越重頼公及び源義経の正室となり上戸の地に京塚伝説を残せる重頼公が息女(京姫)並びに義経公の供養塔を建立するものなり
維時 平成十八年七月吉日
時宗 河越山三芳野院
常楽寺三十四世圓阿知行選文
題字 川越市長舟橋功一書
新編武藏風土記稿
高麗郡上ハ戶村
常樂寺 川越山ト號ス 時宗ナリ 相模國鐮倉郡藤澤山淸淨光寺末 開山一遍遊行三代中政智德上人元應二年七月朔日寂ス 中興開基大道寺駿河守 法謚ハ松雲院殿江月常淸大居士 天正十八年七月十九日卒 本尊阿彌陀木ノ立像長三尺 脇士觀音勢至木ノ立像共ニ長一尺七寸 皆運慶ノ作ナリ 樓門ノ內本堂前通リ凡テ花木ノミアリ 花時ノ勝槪イト善シ 土人此寺ヲ稱シテ三芳野道場ト云 川越城ノ舊跡ナリ 又大道寺駿河守砦ノ跡ナリトモ云フ事ハ總說ニ辨ス 寺後ニ大道寺ノ墓碑アリ 古碑ハ破壞セシユヘ寬政年中再建セリ 大道寺家ノ子孫今モ芝三田ニアリテ每歲七月十九日弔祭スト云
表門 左右梅桃櫻等ノ竝木アリ 山門 上ニ洪鐘ヲ懸ク 釋迦文殊普賢四天地藏龍樹十六羅漢ノ木像ヲ置キ 下ニ金剛力士ノ二像ヲ安ス 其長共ニ七尺餘ナリ 本堂 庫裡 觀音堂
古碑 寺後墓所ノ入口ニアリ長二尺五寸 上ニ六字ノ名號ヲ彫リ 下ニ河越山常樂寺開山遊行三祖傳阿上人智德大和尙ト刻ス 脇ニ元應二年トアリ コノ外寺主歷代ノ石碑八九本アリ 或ハ毀折シ或ハ剥滅シテ讀カタキモノ多シ 唯ソノ中ニ分明ナルモノハ 應永十一年大永六年延文庚子ト勒スル三碑アルノミナリ
堤二ケ所 一ハ村ノ東ニテ寺ノ前通リニアリ 長五十八閒或二閒 一ハ村ノ艮ニ當リテアリ 長三十閒或ハ六閒 土手二ケ所 一ハ村ノ北ニテ寺ノ後通リニアリ 長サ九十八閒或四五閒 一ハ村ノ艮ニテ字古屋敷通リニアリ 長九十八閒或四五閒 高サ一二丈 土手下通リ堀切アリ 深サ五六尺ヨリ丈餘ニ及ヘリ 幅ノ廣狹ハ異ナレ共凡三閒許 土人ノ云ルコトク コノ邊ハ城址壘壁ノ跡ト思ハルヽナリ
寺寶 椀二具 五ツ組ニテ 內朱外黑 葵ノ御紋ヲ模セリ 銚子一 黑ヌリ 同シク御紋ヲ模ス 以上二品ハ大道寺家用ヰシ器ナリト云 按ニ是ハ其頃神君ヨリ賜ハリシモノナルヘシ 鐙一足 五六ニテ 丸ニ三ツ引ノ紋アリ 鞍一口 無銘木地ヌリ 欄干ノ高蒔繪ニテ寄品ニ見ユ コレモ大道寺所持ノ品ナリトイフ |
神社・お寺情報 |
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例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2025/01/04 18:18:53
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