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★★★★★ 参拝日:2019年3月22日 00:00
★★★★ 参拝日:2025年6月29日 14:16
★★★★ 参拝日:2025年1月3日 00:00
参拝日:2024年11月11日 00:00
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基本情報
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| 住所 | 埼玉県川口市戸塚2-6-29 |
| 五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
| アクセス | JR武蔵野線東川口 徒歩5分 |
| 御朱印授与時間 | |
| 電話番号 | 0482951034 |
| FAX番号 | |
| 公式サイトURL | https://www.saikouin.com/ |
| 御本尊 | 不動明王 |
| 宗派 | 真言宗豊山派 |
| 創建・建立 | 1573年(天正元年) |
| 由来 | 境内碑
弘法大師千貳百年御遠忌供養塔 西光院の由緒 天正元年、叡雅上人が修行の砌、この付近に在った大杉に霊異を感じて一庵を結び、大地蔵尊を本尊に杉本坊と称したのが創建の起因で在る。再び上人は修行中、霊験あらたかな不動明王像に邂逅し、庵を目指し、文禄二年、叡雅上人が本堂を建立し、寺号を青龍山西光院傳福寺と改め、本尊にこの不動明王を安置された。是を中興開山と云う。本尊不動明王は運慶作又は慈覺大師、智証大師の作と伝えられる。抑元亀年間より、岩槻城主太田十郎氏房の家臣山崎安信が戸塚に帰郷し前野氏と改め叡雅上人を礼敬し代々一族の香華院となり、厚く信仰帰依され法隆をきわめた。慶長年間より、この地の教化を懇願した第三世長雅上人は高野山龍海法印と智積院日誉僧正より法を授かり、鐘楼堂、薬師堂、氷川神社等を建立し繁栄の基礎を堅固にした。爾来七堂伽藍を構え門前市をなし、時には徳川将軍日光社参の際に筑波山遠望の為、籠をとめ小休止されたと云う。寛政年間には湯島根生院第十七代周海大阿闍梨が遺弟第十四世宥雄法印と縁あって當寺に大祠堂地を以て隠居し、第十五世存海法印の時、周海大阿闍梨への大法要並びに石塔建立により御室仁和寺御所より寺格昇進の許可を得る。 平成二十四年九月吉日 真言宗豊山派青龍山西光院傳福寺 二十七世金剛末資洋司 沙門崇雅建立 |
| 神社・お寺情報 | 武州川口七福神・弁財天
新編武藏風土記稿 足立郡戶塚村 西光院 新義眞言宗西新井宿村寳藏寺末 靑龍山傳福寺ト號ス 開山叡牙天正年中寂スト云 地藏堂 境内掲示板 川口市指定有形民俗文化財 寛永二十年銘山王二十一仏庚申塔 (平成27年4月1日指定) 庚申塔は、中国の道教の影響を受けわが国で最も盛んに行われた庚申信仰の遺産 です。庚申(かのえさる)の晩に講を結んで寺や堂に集まり、精進潔斎をして庚申様の軸を掛け、真言や念仏を唱えて共食をしながら不眠のまますごし、一番鳥が鳴くのを待って解散する庚申待という行事が行われ、その結願供養として建立されました。庚申待は平安期から行われており、江戸期に入ると庶民に広まりました。 本塔は、寛永二十年(1643)に造立された市内の近世石造物としては最古の庚申塔であり、中世の板碑からの変化過程をうかがうことができる貴重な石造物です。また県南の草加から川口にかけて分布している山王二十一仏という地域的庚申信仰の特色を示す遺産であり、地域における信仰文化普及の様相を知るうえでも貴重な石物です。 |
| 例祭日 | |
| 神紋・寺紋 |
未登録
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| 更新情報 | 【
最終
更新者】thonglor17 【 最終 更新日時】2025/12/13 16:57:25 |






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