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★★★★★ 参拝日:2019年3月19日 12:00
★★★★★ 参拝日:2018年3月10日 00:00
お寺もお務めされてる方も、とても良かったですよ👌
参拝日:2024年2月23日 12:00
★★★★ 参拝日:2024年1月29日 00:00
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住所 | 埼玉県川口市本町2-4-37 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス | 埼玉高速鉄道川口元郷 徒歩4分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | 0482222046 |
FAX番号 | 0482222049 |
公式サイトURL | http://www.shakujyoji.com |
御本尊 | 延命地蔵菩薩 |
宗派 | 真言宗智山派 |
創建・建立 | |
由来 | 境内掲示板
錫杖寺について 錫杖寺は行基菩薩が草庵を結び、ご本尊である延命地蔵菩薩を納めたことからその歴史が始まりました。 寛正元年(一四六〇年)には、太田道灌の信施により七堂伽藍が建立されました。江戸期になると、歴代の徳川将軍との深い関りを持つようになり、寺紋に徳川葵のお許しを受け、末寺五十三ヶ寺を有する大寺院となりました。川口の大火により多くの堂宇を焼失するも再興し、現在まで法灯を絶やすことなく守り続けています。 錫杖寺と御成道 御成道は、歴代の徳川将軍が日光参拝の折に使用した街道で、錫杖寺はその御成道沿いにありました。そのため、江戸城からの距離も程よく、歴代の徳川将軍が錫杖寺でご昼食をとることが習わしとなっていました。当時の錫杖寺では、いつでも徳川将軍を迎えることができるよう、山内の整備を怠ることなく、将軍のみ通ることを許された御成門がありました。 現在の錫杖寺では、多くの檀信徒の信仰をいただき、左記のとおりご祈願などを行っております。ぜひ、徳川家の信仰もありましたご本尊である延命地蔵菩薩とご縁を結び、ご利益にあずかりますようご案内申し上げます。 合掌 お護摩修行 元旦・新春・節分・毎月二十四日(地蔵菩薩のご縁日) 厄除け(お祓い)・方位除けなど随時行っております ご祈祷 交通安全祈願・七五三・初参り・十三参り 阿字観会 毎月第三土曜日午後三時より 御詠歌練習会 毎週月曜日午後一時半より(月三回ほど) この他、除夜の鐘や写経会・写仏会など多くの行事が開催されておりますので、お気軽にご参加ください。 武州川口七福神霊場・関東八十八カ所霊場第七十六番 宝珠山 地蔵院 錫杖寺 境内掲示板 錫杖寺 養老元年(717)に行基が本堂を建立、自ら地蔵菩薩を刻み本尊とし開基したと伝えられています。のち、北条時宗の帰依を受けた鎌倉長楽寺開創の願行上人が再興、寛正元年(1460)には、室町幕府8代将軍足利義政により七堂伽藍が整備され、中興の祖宥鎮和尚を晋住させました。以降、醍醐三宝院直末関東七ヶ寺の一つ、十一談林所の一つとして末寺53ヶ寺を有する名刹として栄えました。 元和8年(1622)には江戸幕府二代将軍徳川秀忠の日光参社の際の休息所となり、以降歴代将軍により利用されました。また、三代将軍家光からは金子、材木を拝領し、御成門を建立するとともに、御朱印20石を賜るなど、”川口宿”の中核寺院として繁栄しました。 *川口宿と錫杖寺 左の図は、 旧川口宿の本陣であった永瀬洋治家に伝わる文政4年(1821)に描かれた 『川口宿絵図』です。 この図からは、将軍家が日光墓参のために整備した、日光御成道の岩淵宿につぐ第二の宿場として発達した、旧川口宿の往時の姿をうかがうことが出来ます。街道に沿って町屋が軒を並べ、その西側には裏町が形成されていたことも見てとれます。現在「本一通り」として、その景観の一部を残しています。なお、「鋳物のまち」としての川口は、この裏町を中心に発達しました。 錫杖寺は、この宿の北のはずれに位置しています。まさに川口宿のかなめとして、まちの発 展を見守り続けてきました。 |
神社・お寺情報 | 関東八十八箇所・第76番札所
関東百八地蔵・第6番札所 武州川口七福神・福禄寿尊 新編武藏風土記稿 足立郡川口町 錫杖寺 新義眞言宗山城國醍醐三寶院末寺領二十石ノ御朱印ヲ賜フ寶珠山地藏院ト號ス當寺ハ古ヘ願行上人ノ結ヒシ庵室ナリシヲ僧宥鎭其法派ヲ繼テ寬正元年一寺トセリト云故ニ宥鎭ヲ開山トス相傳フ文明十八年五月二十一日白日天ニ上リ去シト上天ハ則入寂ノコトニテ尊崇ノ餘詞ヲ靈異ニセシナルヘシ元和年中臺德院日光御參詣ノ時御小休トシテ成ラセラレシ後ハ舊例トナリテ御參詣ノ度每ニ御小休所トナレリ 客殿 本尊地藏ヲ安ス行基ノ作ナリ 御座所 客殿ニ續キテアリ日光御參詣ノ時ハ修補ヲ加ヘラルト云 御成門 中門 今ハ廢セリコレモ御參詣ノ時ハ御普請ヲ加ヘラレルト云 惣門 鐘樓 寬永十八年九月新造ノ鐘ヲ掛タリ銘文當寺ノ事實ニ益ナケレハ略ス 天神社 モトハ境外西ノ方ニアリシト云神體ハ菅公ノ自作ナリ何ノ頃カ舊地ニアリシ梅樹ノ根ヨリ穿出セリト云今モカノ舊地ヲ御自作ノ森ト呼ヒテ天神ノ除地ナリサレト何ノ頃ニヤカノ梅ハ枯タリト云 不動堂 堂中ニ大日ヲモ安セリ 境内掲示板 埼玉県指定有形文化財(工芸品) 銅鐘 (昭和33年3月20日指定) この銅鐘は、池の間(鐘の中央部分)に刻まれている銘文から、寛永18年(1641)9月、川口宿名主である宇田川氏が先祖供養の施主として川口鋳物師長瀬冶兵衛守久が鋳造し、菩提寺である錫杖寺に奉納したものです。 銅鐘の製法は右に示すとおり湯(溶融した金属のこと)を型に4回に分け流し込んで造られています。形状は、総高132cm、口径66cmと比較的小型ですが、型抜きの良い細身の美しい形をしています。上部の鋳型の継ぎ目を隠すための疵状の突起は江戸時代初期の鋳法の特徴を示し、池の間には由来が記されています。また、吊り手の竜頭は精巧で美しい形をしており、近世初期の工芸品として、また、川口を代表する地場産業である鋳物業の歴史をたどる上でも大変貴重な資料です。 銘文 武州足立郡川口村錫杖寺道場設、 宇田川氏宗寿令聞如来梵響、 為鋳法鐘、以補菩提之資糧、仍叙而銘之 銘曰 唐山海徳 合路通玄 理孕法海 霊鐘動天 智呑虚空 揵槌揺地 晨朝閑鯨 閻獄華裂 昏夜金童 餓禽脱苦 父巖子孝 児孫猶在 太平得路 安家楽業 時寛永十八年九月日 法印朝海撰 施主 長瀬治兵衛守久 鋳之 宇田川宗慶 於丹 於甚 於竹 小□郎 同吉左右衛門 宇田川四郎右衛門同三郎右衛門 |
例祭日 | |
神紋・寺紋 | 徳川葵 |
更新情報 | 【
最終
更新者】zx14r 【 最終 更新日時】2023/05/20 13:22:44 |