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基本情報
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住所 |
埼玉県東松山市古凍536-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武東上本線東松山 徒歩41分 |
御朱印授与時間 |
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電話番号 |
0493222165 |
FAX番号 |
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公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
天台宗 |
創建・建立 |
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由来 |
新編武藏風土記稿
比企郡古氷村
慈雲寺 天台宗下靑鳥村淨光寺末 弘誓山惠日院ト號ス 本尊藥師ヲ安ス
東覺院 村內慈雲寺ノ末ナリ 西岸山來迎寺ト號ス 觀音ヲ本尊トス 阿彌陀堂
境内碑
阿弥陀如来堂建立記念碑
西岸山、等覚院、来迎寺は天台宗の古刹にして浄光寺の末寺なり浄光寺文書に曰く「暦応五寅年正月誓信上人の開基にして享保六丑年二月玄海上人当寺を中興す」と
昭和四十四年六月 当所慈雲寺を併せて慈雲山、等覚院、来迎寺と称するに至る
当山に一古仏あり 木彫阿弥陀如来座像にして久しく当寺に おわして仏姿端麗なること極りなし阿弥陀如来の胎内に、「建長五年丑卯月奉修理」の銘あり 昭和三年八月十七日 文部省より国宝の指定あり 更には昭和二十五年八月二十九日 文化財保護委員会より重要文化財の指定を受け 広く国家の宝物として認定せられたり
嘉永六丑年正月の等覚院什物帳に 弥陀三尊春日作にして阿弥陀堂に奉祀し 毎年十月十五日を縁日として遠近の信仰を集めたりという
文久二戊年正月十八日 古凍に大火あり、当寺弥陀堂も烏有に帰し 翌三年再建されるも明治年間の火災に堂宇焼失す
再度の火難に阿弥陀如来の脇侍たる観音、勢至の二菩薩像を失いたる 真に惜しむべし
昭和五十年四月 等覚院担信徒阿弥陀堂の建立を発願し 文化庁、埼玉県、東松山市の助成金に併せ遍く有縁大衆の浄財を勧進し同十月着工 昭和五十一年三月、耐震、不燃の御堂を完工せり
昭和五十二年三月十五日
当山十八世清水寂田発願
十九世渡辺憲田敬白 |
神社・お寺情報 |
宝篋印塔 明和三丙戌年四月吉祥日(1766)
境内掲示板
国指定重要文化財 木造阿弥陀如来座像
ヒノキ材を用い、 頭・体幹部に前後二材を寄せるほか、各部に細かい別材を寄せ、 内刳を薄く丁寧に仕上げています。 彫眼で、肉身には漆箔が施されています。
丸顔で肉髻(頭頂部)が丸く高い点など、平安時代後期の特徴がありますが、若々しい顔の張りや、目尻の切り上がり、衣文線が深くはっきりしている点など、鎌倉時代の特徴も見て取れます。
胎内の墨書銘から、建長5年(1253)4月に大檀那阿闍梨明秀が、寄付を募り、大佛子(師)僧定性に修理させたことがわかります。
造立の時期を、鎌倉時代初期とする見方もありますが、建長5年まで日が浅いことや、「修理」には当時造立の意味もあったことなどから、建長5年を造立の年と考えることもできます。
昭和3年(1928)に国指定重要文化財に指定されました。
像高: 87.4cm 髪際高: 76.1cm 膝張: 71.5cm
令和6年(2024)2月
東松山市教育委員会 |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/06/30 06:25:29
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