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基本情報
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住所 |
埼玉県東松山市正代864-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武東上本線高坂 徒歩16分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0493350375 |
FAX番号 |
0493350375 |
公式サイトURL |
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御本尊 |
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宗派 |
天台宗 |
創建・建立 |
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由来 |
新編武藏風土記稿
比企郡正代村
靑蓮寺 天台宗下靑鳥村淨光寺末 常樂山仙住院ト云 本尊彌陀ヲ安ス 中興開山春慶寶永二年寂セリ |
神社・お寺情報 |
宝篋印塔 宝暦十一辛巳歳七月十八日(1761)
境内掲示板
埼玉県指定文化財
弘安四年銘板石塔婆
右奉為 前右金吾禅門一列諸衆合力建立也
夫聖霊者撫民之徳惟深仁惠之情敦□因茲結
面々慕従之好友修月々忌景之諸衆等□令□
廬之廟石永宛滅罪生善之霊□以祈光□之
覚位以及累代之幽魂□□等済幽顕同利之矣
干時 弘安四年辛巳七月一日諸衆等敬白
高さ 二・二三メートル
幅 五九センチメートル
厚さ 六センチメートル
石材 緑泥片岩
もとは高坂台地の北端大日山(現折本緑地)辺りにあったと伝えられています。
この銘文には、小代氏四代目重俊(右金吾禅門とは右衛門尉の唐名で重俊のこと)の仁徳を慕って、また祖先の供養のため、縁ある小代氏一族関係者が力を合わせてこの板碑を建立したことが記されています。この板石塔婆が建てられた弘安四年(一二八一)は、蒙古襲来(弘安の役)の年で、一族の武運長久と団結を願う意味もこめられていると考えられています。
小代氏は、武蔵七党(横山、猪俣、野与、村山、西、児玉、丹党)の児玉党の入西資行の次男遠弘が、小代郷に住して小代を名乗ったことに始まります。
子息重康の「宝治合戦」での活躍により、重俊は宝治元年(一二四七)鎌倉幕府から肥後国野原荘(現熊本県荒尾市)の地頭職に任ぜられています。当時はその地に赴かず、地頭代に所領の管理を任せていましたが、文永八年(一二七一)幕府から蒙古襲来に備えるため、また、領内の争いを治めるため重俊の子息等は野原荘へ行くことを命ぜられ、小代氏一族は野原荘へと移り住んでいきます。その後、三百数十年にわたりその地で勢力を誇ったそうです。
小代氏の菩提寺となっている荒尾市の浄業寺には、一族の供養塔群が残されています。
平成一六年三月
埼玉県教育委員会
東松山市教育委員会 |
例祭日 |
|
神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2024/06/30 06:13:33
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