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★★★ 参拝日:2021年3月31日 16:05
県社。 別表神社。 鳥居参道は西側。 車は北側から境内に入る形で停めさせていただきました。 少し高台になった場所にご鎮座。 拝殿内も境内も美しく掃き清められていました。 境内には、源平合戦で平家の将帥だった平知盛公のお墓と供養塚があります。 社務所にてご朱印をいただきました。 上品なデザインのオリジナル御朱印帳が各色、数種類ありました
★★★★★ 参拝日:2025年3月11日 12:00
2度目の参拝。三韓征伐の際に神功皇后が身につけられていた甲(かぶと)を御神体として祀っている神社。何度見ても重厚な社殿と楼閣。前回時間がなくてしっかり参れなかった平知盛卿のお墓にしっかり手を合わすことができました。
★★★★★ 参拝日:2023年6月18日 12:06
御祭神 応神天皇。第56代清和天皇がご創建。立派な兜が祀られていました。参拝者も多かった。
★★★★ 参拝日:2021年5月15日 17:49
階段を登った所にある鳥居の両側に原木の灯籠がありました。 スゴいね! 立派な神社ですね。本殿の両側にお城で言う櫓みたいな門?塔?があり、その門の前には鳥居もあります。でも梁は頭をぶつけるくらいの高さなので頭上注意です。 平清盛の四男で平知盛の御墓がありました。ごめんなさい、清盛しか分かりません🙇
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基本情報
※地図上の表示位置はGoogleの位置情報を利用しているため、微妙に異なる場合があります。地図の表示位置は「情報編集」ボタンから修正できます。
住所 | 福岡県北九州市門司区旧門司1-7-18 |
五畿八道 令制国 |
西海道 豊前 |
アクセス | 門司港レトロ観光線ノーフォーク広場 徒歩5分 |
御朱印授与時間 | |
電話番号 | |
FAX番号 | |
公式サイトURL | http://www.kosohachimangu.jp/ |
御祭神 | 第一殿 応神天皇(おうじんてんのう) 第二殿 神功皇后(じんぐうこうごう) 第三殿 市寸島比売命(いちきしまひめのみこと) 多紀理比売命(たぎりひめのみこと) 多紀津比売命(たぎつひめのみこと) |
創建・建立 | 貞観2年(860) |
旧社格 | 県社 |
由来 | 第56代清和天皇の貞観元年(859年)、大和国(奈良県)大安寺の僧侶であった行教(ぎょうきょう)が、九州で最も霊験あらたかな豊前国の宇佐八幡宮(宇佐神宮)に参拝しました。宇佐八幡宮は大陸文化の影響を受け、新しい文化圏をもつ神で、地方神としては伊勢神宮についで朝廷の信仰を最も受けていました。 行教は神前に額ずき「桓武天皇は都を平安京に遷させ給うてより(平安遷都)、五十年以上も経過したが、未だに王城鎮護の神はなし。願わくば神慮が我に降って、守護神を教え賜え」と祈念したところ、「吾れ都近く(山崎離宮のあった男山)移座して国家を鎮護せん」とのご神勅を受けました。 そこで翌年の貞観2年(860年)、清和天皇は太宰大弐(太宰府の太宰師の次の位置する職)清原真人岑成を勅使として派遣。勅使の旨を受けた行教は、畏んで宇佐八幡宮のご分霊を山城国(京都府)にお遷しする(石清水八幡宮の創建)途中、門司関の霊峰筆立山(大宮山)の山麓に滞在しました。 するとその時、筆立山上空に瑞雲(めでたいことの前兆として現れる雲)がたなびき、不思議なことに八流(やながれ)の幡(はた)を天降(あもり)して、光り日月のごとく行教の袈裟を照らしました。 行教は「大神の出現疑いなし」と上申し、この地に宇佐八幡宮の御分霊を祀り、神功皇后御着用の御甲を御神霊(御神体)として外朝西門鎮守門司八幡宮(後に甲宗八幡宮)を創建しました(御甲をご神体として祀ることから甲宗と称すようになる)。 祭主は宇佐神宮初代宮司大神比義を始祖とする大神義勝であります。 祖先には遣唐使あるいは遣唐副使がおり、義勝以後、歴代の宮司は五攝家の近衛家より、九州及び四国一部の海上総関門で朝鮮・中国大陸との交流の要衝でもある門司関の関司(別当)に任命されました。 |
神社・お寺情報 | 別表神社 |
例祭日 | 10月14日・15日 |
神紋・寺紋 | ![]() |
更新情報 | 【
最終
更新者】じゃすてぃ 【 最終 更新日時】2021/08/28 12:03:16 |