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基本情報
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由来
太宰府天満宮は、菅原道真(スガワラミチザネ)公(菅公)の御墓所の上に社殿を造営して、その神霊を奉祀する神社で、学問の神、誠心の神として世の崇敬を集めている。
延喜3年2月25日(903年3月31日)、菅公は太宰府の南館(榎社)において清らかな御生涯を終えられた。
その後、御遺骸を牛車に乗せて進んだところ、間もなくその牛が伏して動かなくなった。
これは、菅公の御心によるものであろうとその聖地に御遺骸を葬った。
京より追従した、門弟味酒安行(ウマサケノヤスユキ)は延喜5年(905年)ここに墓所と神殿を創建、次いで左大臣藤原仲平は勅を奉じて太宰府に下って造営を進め、延喜19年に御社殿を建立した。
醍醐天皇は大いに菅公の生前の忠誠を追想されて延長元年(923年)にもとの官職に戻された。
そして、一条天皇の正暦4年(993年)には正一位左大臣、更に太政大臣を贈られ、天満大自在天神(天神さま)と崇められた。
その後、何度も勅使の下向があり、朝廷の特別な崇敬をうける「二十二社」に準ぜられた。
明治4年(1871年)、国幣小社に、同15年(1882年)官幣小社、同28年(1895年)には官幣中社に社格を進められ、天神信仰の聖地として年間650万余の参拝があり、日本全国より崇敬を集めている。
天満宮の総本社。

【 最終 更新日時】2022/03/01 11:23:22