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基本情報
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住所 |
埼玉県比企郡吉見町大字御所146-1 |
五畿八道 令制国 |
東海道 武蔵 |
アクセス |
東武東上本線東松山 徒歩56分 |
御朱印授与時間 |
|
電話番号 |
0493540028 |
FAX番号 |
0493542512 |
公式サイトURL |
|
御本尊 |
不動明王 |
宗派 |
真言宗智山派 |
創建・建立 |
天平年中(730年頃) |
由来 |
[ 息障院 ]
当山は真言宗智山派に属し、岩殿山息障院光明寺と称する。
開創は古く天平年中(730年ころ)行基菩薩によるといわれている。また、大同年中(806年ころ) 坂上田村麻呂将軍の開祖によるとも伝えられている。
古くは吉見護摩堂と称し、天慶の乱の折、平将門調伏の護摩を修し、その功により息障院の号を下賜されている。
現在の境内地は、源範頼の館跡といわれ、県の指定旧跡となっている。
本尊は不動明王であり、平安時代末~鎌倉初期のもので定朝様式を伝える傑作といわれ、県指定の有形 文化財である。
当山の全盛期は、戦国時代から江戸時代で、その当時は、末寺120余か寺を数え、隆盛を極めたもの である。
― 「平成10年3月 吉見町・埼玉県」
案内版より
―
新編武蔵風土記稿
橫見郡御所村
息障院
新義眞言宗山城國醍醐報恩院末岩殿山光明院ト號ス寺領二十石ノ御朱印ハ慶安元年賜フ所ナリ岩殿山ノ觀音モ元ハ當寺ニテ進退セシカ程隔テ便惡キ故別當職ヲ安樂寺ヘ讓リシト云本尊不動弘法大師ノ作長二尺許ノ坐像ナリ相傳フ昔平將門反逆ノ時朝敵調伏ノ爲敕アリテ當寺及ヒ長野村長久寺小俣村雞足寺ノ三ヶ寺ヲ創立アリシト明證ハナシ
居所蹟
相傳フ蒲冠者源範賴ノ城蹟ナリト岩殿觀音緣起ニ範賴幼穉ノ頃平治ノ亂ニ沒落シ岩殿山ニ遷リ彼地ニ生長ス兄賴朝志ヲ得テ後範賴當所ヲ領シテ此所ニ居ト云東鑑ニマサシク範賴ノ住所ヲ記サストイヘトモ治承五年閏二月志田三郞義廣鐮倉ヲ謀ル時小山朝政ト下野國登々呂木澤ノ邊ニテ戰ヒシニ下河邊行平等古我高野等ノ渡ヲ固ム範賴モ同來テ朝政カ勢ニ馳加ルト云ヘリ急卒ノ閒馳來ルトキハ遠路ヲ隔シニハアラシ當所ヨリ高野邊マテハ相距コト遠カラス當時範賴當所ニ居シニヤ吉見系圖ヲ案ルニ範賴ノ男阿闍梨範國吉見ヲ氏トシ次郞ト稱ストアリ想ニ此人建久四年範賴生害ノ後爰ニ來リ其子孫相繼テ此所ニ住セシナルヘシ範國ノ男爲賴其孫義世永仁四年隱謀顯テ誅セラレシ由系譜ニ見エタリ又東鑑文治三年十月十三日ノ條ニ畠山次郞重忠カ所領伊勢國沼田御厨ヲ召放タレ吉見次郞賴綱ニ充行ハル云々ト戴コレ範賴ノ男ニヤサレト系譜ニハ見エス |
神社・お寺情報 |
● 文化財(寺宝)
・源範頼館跡(県指定)
・不動明王坐像(県指定)
・絹本著色両界曼荼羅(県指定)
・絹本著色涅槃図(町指定)
・仏説大乗像造功徳経(町指定)
・地蔵堂
その他 多数
宝篋印塔享保十八癸丑之天三月二十一日(1733) |
例祭日 |
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神紋・寺紋 |
未登録
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更新情報 |
【
最終
更新者】thonglor17
【
最終
更新日時】2023/03/05 08:46:45
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